光秀=天海上人なの?
【2】信長から「金柑頭」とバカにされたことも謀反の原因に?
信長の家臣・稲葉一鉄の子孫らが書き残した『稲葉家譜』の中に、「光秀が信長から折檻(せっかん)を受けた際に、その拍子に付け髪が飛んだ。光秀はその仕打ちをひどく恨んでいた」という表記があります。また、信長が光秀を「金柑頭(きんかんあたま=ハゲ)」とバカにしていた、という説もよく知られています。
実は室町時代までは、頭頂部をさらされるというのは、下半身が丸出しになることよりも恥ずかしいことでした。肖像画でことごとく烏帽子(えぼし)をかぶっているのは、そういった意味もあるんですね。ところが、信長の肖像画はかぶっていないため、安土桃山時代になると、必ずしも頭頂部を見せること=恥ではないことがうかがえます。
先の『稲葉家譜』は江戸時代に書かれたものなので、創作の可能性が高い。“上司からのパワハラに対する恨み”は、誰もが腑(ふ)に落ちやすい説。想像でいろいろな恥辱を考えた結果、“頭頂部をさらされた”に行きついたのではないか。謀反(むほん)の原因としては、あくまで想像の範疇(はんちゅう)でしょう。
【3】「光秀は生きていた」という説の信ぴょう性は?
生き延びた光秀は、その後、家康の側近・天海上人として暗躍した──という説がありますが、私はありえないと考えます。
光秀の右腕ともいえる重臣、斎藤利三の娘・お福(のちの春日局)が、江戸で天海に会った際「ごぶさたしております」と口にした……なんて創作物があるため、もっともらしく浸透していますが、歴史史料的に裏づけるものはない。と言っても、光秀が天海ではないエビデンスを示すことも難しい。
山崎の戦いで敗戦した後、光秀の首はさらされたと言われています。ですが、それを見て「光秀に間違いない」という記述があるわけでもない。生死が不明、ゆえに光秀=天海説というユニークな伝説に結びついていったのでしょう。
【4】「本能寺の変」に黒幕はいたの?
裏で秀吉や家康が糸を引いていた……など、さまざまな黒幕説がありますが、黒幕かどうかはさておき、歴史学でもキーパーソンとして有力候補に挙がるのが、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)を含む四国勢です。
林原美術館所蔵の『石谷家文書』に、本能寺の変の直前まで、信長の四国攻めをめぐって元親と、その連絡役であった光秀が折衝している様子が書かれています。ただし心情までは描かれていないため、謀反にいたる原因になったか否かは推測でしかない。
なお、前述した斎藤利三の妹は元親に嫁いでいます。その縁を利用して、信長は光秀に四国方面の連絡役を任せるわけです。こういった背景に加え、文書として外交記録が発見されたことから四国説がクローズアップされた。『麒麟がくる』でも、この点は描くでしょうから、斎藤利三のキャスティングが誰になるかは見どころですね。