「俺ってダメな経営者だな」と感じた瞬間
職人たちは長年、これらすべてを『カン』でやっていたが、常に高いクオリティーの商品作りを目指すなら製造過程をマニュアル化し、『目に見える基準』が必要になる。そのためには、職人は1度も触ったことのないパソコン作業を覚えなければならず、データ入力作業の負担ものしかかる。「古い職人社会の船橋屋にそれを導入しても、社員はついてこない」と孝至さんが考えるのもムリのないことだったのだ。
「それでも雅司は『絶対にやる』と一歩も引きませんでした。入社して7~8年間は私の言うことを聞き入れてきた息子が反発したのはあのときが初めて。親子の冷戦は何週間も続きましたが、そこまでしてもやり遂げようとする本気度がわかってきて、私も折れた。『じゃあ、やってみろ』と言ったんです」
7代目は説き伏せたが、古参社員は黙っているはずがない。彼らの反発は凄まじかったという。
「余計な仕事を増やして!」
「長年の職人の仕事をバカにするな」
捨てゼリフを吐いて去った者は1人や2人ではない。船橋屋はまさに嵐の中にいた。
渡辺は神妙な面持ちで振り返る。
「僕なりに会社のためを思って提案したことでした。辞めていった人もいたけど、父が一緒に勉強を始めてから、ついてきてくれた社員もいて、彼らの涙ぐましい努力の結果、2003年にISO取得が叶いました。会社としては一体感を持てたし、品質面でも大きな成果を得られましたが、まだ何かが足りない。そんな感情が拭えませんでした」
企業体質の改善のため、強い意志で改革を進めていたが、渡辺の高圧的な管理は社員を萎縮させ、社員自ら考えて動くことができない組織となっていた。昔からいる職人が新人と口をきかないような古い体質に、トップダウンで対抗している状態だった。
この現実に渡辺自身も迷い苦しんでいたとき、欠けたピースに気づかせてくれる出会いがあった。株式会社アッシュ・マネジメント・コンサルティングの代表・小川晴寿さん(50)である。
小川さんは、初対面の様子をハッキリと記憶している。
「2007年2月に船橋屋を訪ねて、専務だった渡辺さんとお会いしました。電話対応をされている間、ソファで待っていましたが、終わった瞬間、『ところで、キミは何ができるの?』といきなり言われて驚いた。『上から目線』の発言が強烈な印象に残っています」
この日は数時間、話して打ち解け、4月からの契約が決定。小川さんは店長会議に参加する機会を得た。
「会議での高圧的な態度も引っ掛かりました。ベテラン女性店長が問いかけに反応できなかったのを例に挙げ、『あいつら何もできないでしょ』と専務室で言うので、私は『ひとつ申し上げてもいいですか。いい会社を作ろうと思うなら、社員に〈あんたら〉とか〈あいつら〉とか言うのはやめたほうがいいです』と忌憚(きたん)なく申し上げました」
コンサルなんて口ばっかりだろうと思っていた渡辺は衝撃を受けた。
「穏やかな口調で、『会社を動かしているのはあなたですか? 今のポジションはご自分で獲得したわけじゃないでしょう? そんな言い方をしているうちは会社はよくなりません』と言われて、本当にそうだなと思いました。銀行員時代に倒産していく企業を見てきた結果、『いい会社を作らなきゃ』『利益を上げなきゃ』とばかり考えて、周りが見えていなかったんでしょうね」
渡辺はふと中学生時代の自分を思い出した。将来を心配した親に強いられ、「成績を上げなきゃ」「期待に応えなきゃ」という義務感で押しつぶされそうになった経験があったのに、経営者になった今の自分はそうやって社員に大きなプレッシャーをかけている……。
「俺ってダメな経営者だな。欲の塊だ」
それを強く感じた瞬間だった。