ブラジャーに灰色のシミ

 ほぼ毎日、母と散歩に出るようになったのは2013年からだ。母は朝になると、すぐ近くにある実家から篠田さんの自宅マンションまで歩いて来た。篠田さんはまな板と包丁をわたして野菜を刻むなど、何か作業をしてもらった。

 だが長くはもたない。マンションの狭い座敷は心も圧迫する。だんだんと母の目が据わってきて恨み言や妄想が始まる。短期記憶がないため、まったく同じ問答を繰り返す。

 そんな相手に1対1で寄り添っていると、介護する側の思考回路も閉じられ、思考力や記憶力が低下していくと、篠田さんは説明する。

「それが高じれば、“わかってるよ、一緒に死んでやるよ、それでいいんだろう?”という気持ちに行き着くことになります。道ならぬ恋ならいざ知らず、自分の母親と心中じゃ、たまったもんじゃありませんよ。

 それを防ぐべく、必死で元気いっぱい振る舞うか、認知症介護の禁じ手の“違うだろ!”を繰り出して怒鳴るか。いずれにせよ、こっちのエネルギー総量にも限界があります」

 特効薬となったのが外に出ることだ。それも、なるべく人が集まるところがいい。母の関心が行きずりの人の姿、景色、お店の商品などに移ることで、篠田さん自身も解放されたそうだ。

母とよく利用したバス停。ここでも多くの人のやさしさに触れた 撮影/森田晃博
母とよく利用したバス停。ここでも多くの人のやさしさに触れた 撮影/森田晃博
【写真】いつも母親の隣にいた、幼少時代の篠田節子さん

「何より、年寄りを連れて歩くと、みんなやさしいんですよ。バスの冷房が強すぎて母が震えていると、乗り合わせたお客さんがカーディガンを貸してくれたこともあります。見知らぬ人々の母に対する温かい声かけや親切など、もう、感謝しかないですね」

 2人の散歩が突然終わったのは、2017年11月。母がひどい腹痛で入院したことをキッカケに、老健(介護老人保健施設)に入所したのだ。だが、認知症対応の施設でも、騒いだり暴れたりすると退所させられるところは多い。

「手に負えないので連れて帰ってください」

 他人の世話を拒む母が「家に帰せ」と騒いで、老健からこんな電話がかかってこないか。ヒヤヒヤしながら、新しい年を迎えた。

 '18年2月、今度は篠田さんの身体に異変が起きた。

 ブラジャーの右側乳首が当たる部分にぽつりと灰色のしみを発見。ごくごく小さなしみだが、乳がんの症状として乳頭からの出血があるとどこかで聞いた覚えがあった。

 すぐ検査を受けると、ステージ1と2の間くらいの乳がんだった─。

「もし、母が老健に入っていなかったら、そのまま放っておいただろうなと思いますよ。しこりもなかったし。年寄りを見ていると検査を受ける余裕などありません」

 あっさり口にするが、実際に親や義父母を介護していた子どもが病気になったり、先に亡くなってしまうケースは珍しいことではない。篠田さんの周囲でも、ひんぱんに耳にするという。介護に時間が取られて気持ちにも余裕がなくなり、自分のことは後回しになってしまうのだ。

 それだけではない。篠田さんの場合、呪縛ともいえる母からの刷り込みがあった。

「年をとって、他人におしめを替えてもらって死ぬのは嫌だから」

 幼いころから聞かされ続けた母の口癖だ。