ボーイフレンドに母が嫉妬

 高校では水泳同好会に入った。ほかの部員は競泳用水着を着用するなか、篠田さんは体育の授業で使うスクール水着で試合に出た。母から「うちは貧乏だから」と常に言われていたこともあるが、もともと他人と違っていても気にならなかった。

「高校に入って色気づくと親より男ですよ。正常な成長なんだけど母親にとっては一大事。娘は親よりボーイフレンド優先だから、そら大変でしたね(笑)。机の中は常時チェック。私あてに来る手紙を開封するのは当たり前の世界」

 篠田さんがボーイフレンドを連れて帰ると、母は家には上げず、玄関でお茶を出して見守っていたそうだ。

「このまま母親の過保護、過干渉を受け入れていたら自分は人間としてダメになるという危機感がありました。ただ、高校生の経済力では家出はできませんし、非行のたぐいにも興味はなかった。“お勉強して親から離陸する日を虎視眈々(こしたんたん)と準備する”という感じだったので、世間的には従順に見えたでしょうね」

 古代のイタリア、ギリシャや中世ルネサンスに興味があり、絵を描くのも好きだった。大学に進学したいと切り出すと、母に「都心の大学はダメ、近くにある大学に行って薬剤師か学校の先生になれ」と言われた。

「せっちゃんが薬剤師になったら、何人殺すかわからないよね」

 高校で友人に話すと、ゲラゲラと笑われた。

「私、超そこつなんですよ。病的なほど不注意でケアレスミスが多い。母は努力して直せと言うけど、友達は“あんたはそういうやつだから直らない”と。変な期待がないぶん、親より友達のほうが本質を見抜くものですよ」

 自宅近くの小金井市にある東京学芸大学に進み、教育心理学を学んだ。クラシック音楽が好きで、学生オーケストラに入りチェロを始めた。

 教員には向いてないと自分で判断し、公務員試験を受けて八王子市役所に就職した。

「母は大学まで出したのに、お茶くみなんかしてと相当落胆していました。私はお茶くんで給料もらえて、何の文句があるんだろう? と(笑)」

 福祉、教育、保健などさまざまな部署で働いた。市立図書館時代の先輩で今も交流がある倉田雅恵さん(仮名=69)は、仕事ぶりもマイペースだったと証言する。

「篠田さんは自分の考えで物事を進めていって、それが周りとちょっとぐらい違っていてもそんなに気にしない。ゆうゆうマイペースなところがありましたね。昼休みによく書庫でチェロの練習をしていました。一緒にギリシャへ旅行したときは、ホテルにお土産は忘れるわ、パスポートはなくすわ。私たちは心配したけど、本人は慌てず騒がずという感じで、黙々と手続きしていました」

 30歳のとき、カルチャーセンターの小説執筆講座を受講。その後、別の小説教室に通って、作家の故・山村正夫さんの指導を受けた。