感情の抑制がきかない認知症の母

 だが、穏やかな生活は長く続かなかった。母の言動に「あれ?」と疑問を覚えることが増えてきたのだ。

 感情の制御がきかなくなったのか突然怒り始めたり、想像を現実だと思い込んで、仲がよかった姉妹とも仲たがいをしたり……。

「母は60歳で看護師の仕事を辞めちゃったので、これは面倒だなと思ったんですよ。母が好きそうなカルチャーセンターの講座に申し込んだりもしたけど、行かない。親しくしていた友達がいたんですが、高級有料老人ホームに入って、“遊びに来て”と盛んに誘ってくれたけど、老人ホームと聞いただけで、嫌だと」

 直木賞をとった翌年、母が74歳で認知症と診断された。これまでどおり、父と2人で生活はできていたが、電話がかかってくるたびに篠田さんは実家に走った。

「見守りから、介護へ移行して目が離せなくなったのはここ10年」と篠田さん
「見守りから、介護へ移行して目が離せなくなったのはここ10年」と篠田さん
【写真】いつも母親の隣にいた、幼少時代の篠田節子さん

「初期の認知症で必要なのは介護ではなくて、トラブルシューティングです。例えば家電やガス器具の点検、役所や銀行から来る書類の説明、人間関係の相談事も多かったですね。母は中期、後期に入ってもほとんど正常に見えたので、認知症だからと周りの人から大目に見てもらえなくて」

 認知症になると風呂を嫌がる人は多いが、篠田さんの母も「風邪ぎみだ」など理由をつけて入らなくなった。そこで夏場なら窓を閉め切り、冬なら暖房で室温を上げる。母が暑くて服を脱ぎ始めると、風呂場に誘導した。

 いらない物を捨てず家がゴミ屋敷のようになったり、汚れ物を洗濯せず同じ服を何日も着続けたりした。篠田さんが手を出そうとすると怒るので、母が別なことをしている隙にそっとゴミや洗濯物をかき集めた。

 父は母の代わりに買い物に行き多少の家事もしていた。篠田さんが父を気遣うと「私よりお父さんが大事なのか」とひどく怒るので、父が白内障になったときも、ほとんど目が見えなくなるまで気づけなかった。

 母の具合が悪いときは篠田さんの自宅に寝かせて面倒を見た。だが、篠田さんの夫が病人用に用意した食事には気がねして手をつけず、父に電話をして弁当を買ってこさせる。年寄りの遠慮とプライドは厄介で、温厚な夫がムッとすることもあった。

 母の認知症は徐々に進んだが、介護サービスは頑なに拒否する。

 篠田さんだけではどうにもならないときは、従姉妹たちの手を借りた。前出の田中さんもそのひとりだ。

 あるとき、田中さんは久しぶりに篠田さん夫婦に会ったら、2人ともすごくやせていて、ビックリしたそうだ。

「眠る暇がないのよ」

 そう言って篠田さんが見せてくれたのは携帯電話の着信履歴だった。

絶句しましたね。多いときは5分おき、10分おきですよ。おばさんに“お腹が痛いから早く来て”と言われて、夜中に病院に連れて行ったら、何でもない。家に着くと、またすぐに呼ばれると言うんです。

 どうしても、せっちゃんひとりの肩にガーッと押しかぶさってくるので、できることがあったら、お手伝いするよと言ったんです。せっちゃんが忙しいときには、おばさんの相手をしたり、電話をかけて話をしたり。今でも毎月、面会に行っていますよ」