父の死でひどくなった母の混乱
事態が一気に悪化したのは2013年だ。
1月に母が慢性硬膜下血腫で倒れた。手術は無事に終わったが、幻覚や錯覚などの症状がみられる夜間せん妄を起こして暴れるため、篠田さんは2週間病室に泊まりこんで付き添った。わずかでも篠田さんが不在の間は、母の身体をベルトで締めて動かさないようにと指示された。
「でも、一瞬でもベルトを使うと興奮が止まらなくなるんです。それで野放しにしたまま、こっそりトイレに行ったら、看護師さんに見つかって大目玉(笑)。認知症の高齢者が身体的な病気にかかった場合、精神科病棟以外で看る難しさを痛感しましたね」
翌年の正月に、今度は父が買い物帰りに車にはねられた。頭を打ち、意識混濁状態になり、7か月の入院の末に90歳で亡くなった。父の入院を境に、母の混乱はひどくなった─。
父が入院したことを母に説明しても、すぐに忘れて探し歩く。「面倒見るのが大変だから勝手に老人ホームに入れた」と娘を責める。しかたなく病院に連れて行くと大泣きする。
「父の病院に行き来する合間に、母の大混乱がもれなくついてくるので、そちらのケアが厳しかったですね。お葬式をしたこともすぐ忘れて“お父ちゃんは死んじゃったよ”と伝えるたびに、また新たに泣いてくれたけど(笑)」
作家仲間の鈴木さんは篠田さんと会う機会があると、介護の話をよくしたそうだ。鈴木さん自身、4人の介護を同時にしていたことがある。
「うちは人数が多かったけど、認知症は1人もいなかったんです。認知症って、あんなに大変なんだというのが実感ですね。タフなやつですよ。我慢強いというより、ガス抜きの方法を知っているんでしょうね。アネゴ肌で非常に面倒見のいいやつなので、僕の相談に乗ってもらうことも結構ありました。それも彼女自身の気晴らしになっていたのかなという気がします」
どんなに忙しくても、欠かさなかったのは週に1度のスイミングだ。あえて指導者のいるレッスンを選び、泳ぐことに集中した。
友人たちがかけてくれた言葉にも救われた。夫がメールで送ってくれた言葉には、今も励まされている。
《やまない雨はない》