かなり過酷だっと思われる幼少期の話も「そういう時代だったから……」と、よどみなく笑顔で語る 撮影/齋藤周造
かなり過酷だっと思われる幼少期の話も「そういう時代だったから……」と、よどみなく笑顔で語る 撮影/齋藤周造
【写真】新人美容指導員時代の小林照子さん

後輩の人生の道筋をーー

 1965年、30歳で、マーケティング部美容研究室へと異動。それ以来、市場調査、商品の企画開発、プロモーションなど、さらに活躍の場を広げ、数々のヒット商品を手がける。そのひとつが、1966年のファンデーション「クッキールック」のキャンペーンだ。10代の人気モデル・麻生れい子を起用。アイシャドーや口紅の色を抑え、ファンデーションにくっきりしたアイラインというローコントラストメイクを考案。モデルの若さやビジュアルの斬新さに、前例がないとして、社内の反発の声も高かったが、発売後は若い女性の心を一気につかんだ。その後も、世界初の「美容液」の企画で注目を集めるなど、ヒットメーカーとして評価を高めていった。

 当時の小林さんをよく知るのが、コーセーの後輩・原田純子さん。「クッキールック」の新商品発表会の会場の前にたまたま居合わせた彼女は、会場から出てくる人たちの持つ紙バッグのビジュアルを見て衝撃を受け、通っていた音楽の学校をやめてコーセーに入社。小林さんから、メイクの指導を受けた。

「テコ先生(小林さん)が、つなぎを着て、モデルにメイクをしている姿が、今でも目に浮かぶくらいカッコよかった。みなの憧れの人でしたね」(原田さん)

 原田さんにとって、人生の道筋をつけてくれた人だとも言う。

「入社前、私は進路に迷っていたんですが、メイクの道が見つかり、メイクで人が輝く喜びを知ることができた。忙しくて無我夢中でしたけど、充実していましたね。コーセーは結婚退職しましたが、その後、美容の商品開発の仕事について定年まで勤めましたから」(原田さん)

 小林さんが企画した商品は、時代の空気を先取りし、生活感覚に合った使いやすさがあったが、提案したときには、常識はずれと思われて反対を受けたものも少なくない。

「悔しい思いもたくさんしました。でも、反対の理由を徹底的に聞くことで、問題点にも気づけたんですね。

 例えば、これ1本で肌の調子がよくなる、という美容液は、忙しい女性にとって願ってもない商品。でも、販売の人から反対される。理由を聞くと、これまで化粧品をラインで使ってくれていた、いいお客様を失うことになると。

 なるほど、と思いましたね。それなら綿密にセールストークを考えましょう、と。化粧前のマッサージに使ってください、とか、化粧水や乳液に混ぜて使うともっといいですよ、とか」

 考え方が違う人、反対している人の意見をとことん聞いて、解決方法を考える。そうして理解してもらったとき、彼らはいちばんの協力者になる、という結論を小林さんは得る。

「組織には、いろんな意見がある。それを乗り越えて総力を結集できたもの、私がこれをやった、俺はこれをやった、って多くの人が振り返ることができるものが、成功するんですね」