50代、夫と別居し単身渡米
滝野さんは53歳で再びアメリカに渡る決心をする。老年学(gerontology)を学ぼうと考えたのだ。老年学は人が社会や家族のなかでどう老いていくのか研究する学問で、日本の大学ではほとんど扱っていない。
「もしかして人生の最期のほうで役に立つかなーと。学問をやっても、実際には大して役に立たないんだけど、そこらへんが、短絡的なんですよ。アメリカは大好きだし、行きゃあ、何とかなると(笑)」
今から30年以上前だ。インターネットもなく簡単に情報も集められない。困った滝野さんは、ここで持ち前の行動力を発揮する。
通常は学校から入学許可を得て学生ビザを申請するのだが、滝野さんは現地に行って大学院を探そうと、アメリカ大使館に手紙で直訴した。
《私はもう年だから、一刻も早く渡米しないと能力がどんどん落ちてしまう。学生ビザをなんとか出して!》
なんと、それで本当に仮の学生ビザが下りたというから驚く。渡米後、ノーステキサス大大学院に入学した。
「アメリカって国は、すごいですよ。困っているので、こうしたいと訴えると、本当にやってくれるの。大学院の勉強でも同じでした。30年もブランクがあるから、英語で授業を受けるのは、もう大変。教授に直接訴えて、卒業試験の時間を延ばしてもらったりして、どうにか3年で卒業しました」
日本に戻り、父の会社で働きながら、'93年に自著『女53歳からのアメリカ留学』を出版した。その後、アメリカの友人が送ってくれた本を読んでいて、目にしたのがチアの記述だった。
「チアダンスを始めようと思っているの」
友人の武藤和子さん(79)は、滝野さんが電話でそう話すのを聞き、「面白そう」とすぐに賛同した。
「滝野さんとは子どものPTAで一緒でしたが、奇想天外な考え方の持ち主で、人の目を全然気にしない。グジグジしていなくてスカッとしていて好きでした。それに、私はずっとバレーボールやソフトボールをやってきて、チアは全く違う分野だったので興味があったんですよ」
滝野さんは10人ほどの友人に声をかけ、渋谷のレストランで集合。アメリカから送られてきたチアダンスチームの写真を見せると、武藤さんを含めて4人が「やりたい」と手を挙げた。
武藤さんは青山学院大学の出身だ。滝野さんを誘い、その足で母校に向かった。チアリーディング部の学生に教えてもらおうと思ったのだが、見つけたのはバトン部。
「バトンもチアも同じようなものよね」
バトン部の主将にコーチを頼むと快諾してくれ、'96年1月に念願の活動がスタートした。