かつて世間の注目を集めた有名人に「あの騒動の真っ最中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー連載。当事者だから見えた景色、聞こえた声、そして当時は言えなかった本音とは? 第11回は、“美人すぎる議員”と結婚しながら、第1子誕生直後に不倫が発覚した宮崎謙介。辞職に追い込まれただけでなく、仲間の裏切りもあり人間不信になった彼が、復活できた理由とは―。
「自殺未遂をしたことは、僕自身は記憶がないんです。ストレスから顔面麻痺になって、今でも収録前や緊張したときは、近い症状になりますね。不倫報道が出た直後はコンビニに行くだけでも、もしかして記者が尾行しているんじゃないか? と、全員が敵に見えていました……」
同僚だった金子恵美元議員と’15年に結婚した元衆議院議員の宮崎謙介。妻の出産を控えた同年12月に育休宣言をしたことが、世間からの注目を集めた。しかし、不倫していたことが報じられ、猛バッシングを受けることに─。
不倫報道後は「人間不信になった」
「妻が出産して病院から出たところ、『週刊文春』の記者さんたちが待ち構えていたんです。実は、直撃をされる数日前に文春の記者さんから電話がかかってきて、相手の女性の名前を出され、“この女性を知っていますか?”と聞かれていたんです。なので、もしかしたら記事になるかも……と覚悟していた部分はありました」
知名度の高かった妻と結婚したことや育休宣言をしていたことから、先輩たちからはスキャンダルに注意するようアドバイスがあったという。
「育休宣言に関しては、妻にだけ育児を押しつけるのも違うなと思ったので、自分も育児を優先すると発言しただけ。でも議員は365日休みなく働くものだという考えを持つ先輩たちも多く、一気に風当たりが強くなりましたね。相手の女性とは知り合って間もないうえ、会ったのも2~3回ほどだったので、どこから情報が漏れたんだろうと人間不信になりました」
数回しか会っていないのにバレたことで、同僚議員たちも信用しなくなったという。
「信用できる先輩に相談したところ、どこから情報が漏れるかわからないから気をつけたほうがいいよと言われて。それで報道後は裏切り者を特定するために、人によって話すことを変えて、その内容をメモしていました。
その後、とある週刊誌に僕の記事が掲載されたのですが、ある秘書にだけ伝えていた内容が、そのまま書かれていて……。辞職した際、秘書の再就職先などを探してあげたのですが、情報を漏らしたと思われる秘書だけは、さすがに面倒を見ませんでしたね(笑)」
憲政史上、初となる女性問題による辞職を表明した宮崎。不倫は決して褒められた行動ではないものの、これまで政治家の不倫報道がなかったわけではないだけに、辞めなくてもよかった気もするが……。
「僕自身、クリーンですよと表でアピールしているのに裏で汚職している政治家がいちばん嫌いだったんです。だから下手に言い訳をして活動を続けたら、僕が嫌いだった政治家と一緒になってしまうなと辞める決意を固めました。『週刊文春』が直撃してくるということはしっかり裏取りもしているだろうから、逃げられないなって」
もともと政治家志望ではなかったことも、きっぱり辞職を決断できた理由のようだ。早稲田大学卒業後、IT企業などを経て、学生の就職支援サイトを運営する会社を起業した。政治家になったのも、そこで出会った学生たちの言葉が影響しているという。
「東大生などエリート候補生に特化したセミナーを行ったとき、“みなさんは国を引っ張っていく覚悟はありますか?”と聞いたところ、“政治はガタガタだし、日本は終わりでしょう”といった発言をする学生が多くて。若者がそんなふうに思ってしまう国はダメだなと、立候補することにしたんです」