夫からではなく息子からの暴力で
家を出る決意が固まる
少しずつ強くなる妻。その態度が気に入らないと、夫は次なる手に出る。
「思春期に差しかかって、どう吹き込んだかはわかりませんが、子ども(当時15歳)までもが“お前が悪い”と。私に暴力をふるいだしたんです。それがもう耐えられなくて。主人に暴力をふるわれるよりなにより堪(こた)えてしまって、家を出たんです」
夫が働いていないぶん、働くしかない浜口さんは多忙を極め、息子が家に帰ったときには父親しかいない。そこでどんなやりとりがあったかは誰にもわからない。しかし、息子は母親に対して、明らかに敵意を向けるようになっていったという。
「息子からしたら、私ひとりで家を出たので“捨てられた”と思ったかもしれませんね。でも、息子が主人とそっくりに、私に暴力をふるうことが本当につらくて、身ひとつで家を飛び出してしまったんです。もちろん、後日すぐに迎えに行きました。でも、息子は主人を選びました」
証拠がないから
調停は打ち切りに
もちろん、愛息子を取り戻したい浜口さん。家庭裁判所へ離婚と、親権確保の訴えを起こします。しかし、ここでも夫の狡猾さが際立つ。
「本当にね、外面がよくて話術が長(た)けている。そこは本当にもう尊敬するほどです。私がどんなに訴えても、ご主人も息子さんも出ていったあなたが悪いといっていますよ、と。今まで受けた精神的、肉体的な被害、思い出せるものすべて書き出して提出しても『証拠』にはならないと。
棚橋先生とお会いした後に、録音も試みたのですが、バレたらどうしようという恐怖心もあってうまく録音できなかった。あのとき病院に行って診断書をもらっておけば、何か証拠を残せていたら。もう、すべてが後から思いつくんです」
決着がつかず、家庭裁判所の審判まで進み、さあこれからどう立証しようかと弁護士と相談を重ねている最中、夫死亡の一報が入ったという。
「脳出血で即死でした。おそらく、あのまま生きていたら親権もとられたまま、今ごろ子どもも夫そっくりに育ってしまったのではないかと思います」
それから6年。今は息子さんと一緒に住んでおり、徐々に関係も改善したという浜口さん。それでも当時のことはまだ話せないでいるという。家族間DVの傷は、たとえ解消されたとしても、その後の人生にも大きく影響を与えているのだろう。