「彼の活躍を知っていたら、おこがましくて新加勢大周なんて名前でデビューしてないですよ!(笑)“あっちは白のTシャツだから、お前は黒のタンクトップでいく”とだけ言われて、なすがまま。あとはノープランです」
新加勢大周という名前と黒のタンクトップ以外に何も決まっていないまま、メディア関係者200人以上が集まる記者会見に臨んだ坂本は、
「とにかく丁寧語を心がけた」という。そうして生まれたのが、記者から「(この騒動について)何かご存じですか?」と聞かれ、『ご存じです』と返答した伝説の記者会見だった。
「ものすごい数のフラッシュがたかれて。自分がとんでもない犯罪を起こしたんじゃないのかと錯覚した」
と笑いながら振り返る。
それにしてもプロ野球志望から一転、なぜ関心のなかった芸能界に入ることを決めたのか?
「契約書を出されると書いちゃうんだよね。バカなんだろうね」
と、まっすぐな目で答える。
「今はもう大丈夫。でも、昔からニンジンをぶら下げられると、何も考えずに突き進んでしまうところがあって。“もうちょっと疑えよ!”って自分でも思う。だから、いろいろと巻き込まれるんだろうね」
当時ワイドショーを席巻した騒動は、その後、事務所が加勢大周の名を“本家”の加勢にプレゼントすると公言し収束。“新加勢大周”は坂本龍馬にちなんで、坂本一生として再スタートを切る。
実は、彼が新加勢大周と名乗っていた期間は、たった20日間にすぎない。だが、その宣伝効果は絶大だった。
「デビューから名前と顔が知れ渡るまで、僕は芸能界史上最速最短だと思う。名前と顔を覚えてもらうのに、何年もかかる人がたくさんいるのが芸能界。当時は、たった20日で改名するなら、最初から坂本一生でやらせてくれよと思ってましたよ。だって、登場のたびに“新加勢大周あらため坂本一生さんです!”って紹介されるんだよ。火つけ盗賊あらため長谷川平蔵じゃないんだから。でも、いま思うと新加勢大周は、見事なブランディングだったんだなって思いますね」
その言葉どおり、坂本はデビューからわずか1か月で休みなく働くまでの人気者になったのだ。