過酷な芸能生活、
ギャラ未払いや夜逃げも
瞬く間に売れっ子の仲間入りを果たすも、
「同業者のやっかみもすごかった。弱小事務所だから先輩も後輩もいない。相談できる人もいなくて孤独でしたね」
さらには、加勢大周ファンからの嫌がらせもあったという。
「雑誌の撮影をしていると、道路の向こう側から、女性にコーラの缶を投げつけられて、足元で破裂したり。あるときは事務所の入り口に、犬のフンとは違う……どう見ても人糞が置かれていたこともあった。マネージャーがそれを片づける姿を見て、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったと思いましたね」
テレビ出演だけでなく、イベント出演も多数こなしていた坂本は、厳冬期の屋外でも黒のタンクトップでハッスルし続けた。寒すぎて死ぬかと思った、と本音を明かすが、
「女性からモテていたことだけが、唯一の救い。たくさん失敗もしたけど」
と、ジェットコースターのような芸能生活を楽しんでいたという。だが、本当の絶叫はこれからだった。
「デビューして1年くらいたった夜、ものすごい勢いで自宅のドアを叩く音がして。“いるのはわかってんだぞ! 出てこい!”と怒鳴り散らす取り立て屋でした」
当時、事務所から家賃50万円の白金台のマンションを与えられていたという坂本だったが、
「半年以上、家賃が支払われていないと。社長がいないことを伝え、いったんお引き取りしてもらい、すぐに夜逃げの準備をしました。最低限の生活必需品とダンベルを抱えて、実家がある千葉に帰りました」
その予兆は、坂本自身も感じていた。
「半年以上たっても、給料らしいものをもらっていなかったんです。でも、芸能界のしきたりがよくわからないことに加え、衣食住は事務所持ちだったため生活に困ることもなかった。あのときは“こういうもんなのかな”って」
地方イベントに出演した際などは、その場でギャラをもらうことも珍しくない。
「それももらっていない。美味しいご飯とキャバクラに連れて行ってくれたから」
しかし、その代金は本来、自分に支払われるものだったのでは?
「言われてみれば……俺がおごっていたようなもんじゃん!(笑) なんでギャラをもらっていなかったんだろ」
夜逃げ後、事務所について情報収集をしてみると、加勢大周との裁判費用で事務所は火の車だったことが判明。支払われるべきギャラは、すべて事務所の借金返済に回されていたという。新加勢大周あらため坂本一生は、事務所が抱えた巨額の負債を効率よく返済するために生み出された“神輿”だったのだ。