後ろは崖、目の前に真剣を立てて座禅
池口恵観、幼名は鮫島正純(さめしままさずみ)。
鹿児島で室町時代から500年以上続く山岳修験行者の家系に生まれた。幼いころから「息を吐くかのように自然と“行”(ぎょう)を行うようになった」と、池口は言う。
「行一筋に生きてきた私の先祖の中には、修験の行力、いわゆる験力の強い行者が何人もいたようです。私の曽祖父は、ピンポン玉ぐらいの団子1つと水だけで、絶海の孤島で21日間の修行をしたり、竹にとまっていたスズメに念力を送って、生きたまま枝ごと家に持ち帰ったそうです」
そうした験力は「厳しい行によって養われた」と考える池口も2、3歳のころから毎朝、境内にある仏像にお茶と水をあげ、線香をたくことを日課にし、父親からは行者としてのスパルタ教育を受けていたと振り返る。
「幼いころ、父親に背負われて山に登り、険しい崖を背にして座り、目の前には真剣を立てて座禅をする『刀岳(とうがく)の禅』を行いました。この行は、途中で眠くなっても後ろに倒れれば崖を真っ逆さま、前に倒れれば刀で顔を切りますから、眠るわけにはいかない。
小学校に上がるころには、学校から家に戻ると護摩木を焚く父の横に座り、炎が燃え盛り、息もできないほど苦しくなる中、寺の御本尊の不動明王に向かって、のども張り裂けんばかりの大声で経を唱える“護摩行”を行うようになりました」
大人でも厳しい護摩行を否応なしに行っていた池口は、子どもながらに不思議な力を持つようになったという。
「年末になると、周辺の家にお祓いに行っていたのですが、玄関の前に立つと、家人の身体の調子や飼っている牛や馬がもうすぐ子を産むこと、生まれる子の性別などが不思議とわかり、それがことごとく当たったんです。寺に泊まりに来ていた友達が患っていた皮膚病を手で撫でて治したこともありました。ですが、そうした力も思春期に入る中学生ごろになると、女の子のことを考えたり、雑念が生まれたせいか、自然と遠のいていきました」
500年以上続く修験行者の家系に生まれた池口だが、修行者として、高野山の宿老となった今日にいたるまで、「母親から受けた影響は大きかった」と回願する。
「父とともに得度(とくど)し、行の道に入った母の智観(ちかん)は、霊感の強い人でした。'74年にアメリカで新聞王のウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘が誘拐されて世界中から注目されていたとき、彼女の居場所は“アメリカ東部にいる可能性が高い”と報道されていたのですが、母は“彼女がいるのはサンフランシスコだ”と具体的な地名まで指摘して、それが当たったんです。
私が若いときは、こんなこともありました。鹿児島の実家近くに当時の田舎では珍しかったモーテルができて、そこに私も女の子と入ったことがあったんです。そうしたら後日、母は私が女の子とモーテルに入ったこと、その女の子の容姿までをピタリと言い当てたので、冷や汗をかきました(笑)」