『平凡』二葉亭四迷

 明治40(1907)年に『東京朝日新聞』に連載されました。39歳になる下級官吏が、自分が幼かったころに飼っていた愛犬ポチが殺されてしまったこと、著名な文学者となったこと、父親の死とともに人生とは何かという問いにぶつかるという小説です。

口語体を用いて文章を書く“言文一致”の先駆者でもある二葉亭四迷 イラスト/長田直美
口語体を用いて文章を書く“言文一致”の先駆者でもある二葉亭四迷 イラスト/長田直美
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『平凡』二葉亭四迷

 前にも断って置いた通り、私は曾(かつ)て真劒(しんけん)に雪江さんを如何(どう)かしようと思った事はない。それは決して無い。

 度々(たびたび)怪(あや)しからん事を想(おも)って、人知れず其(それ)を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券(かんぎょうさいけん)を買った人が当籤(とうせん)せぬ先から胸算用(むなざんよう)をする格(くらい)で、ほんの妄想(ぼうそう)だ。

 が、誰も居ぬ留守に、一寸(ちょっと)入(い)らッしゃいよ、と手招(てまね)ぎされて、驚破(すわ)こそと思う拍子(ひょうし)に、自然と体の震(ふる)い出したのは、即(すなわ)ち武者震(むしゃぶる)いだ。

 千載一遇の好機会(こうきかい)、逸(はず)してなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰(くい)止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘(まま)に雪江さんの部屋の前へ行くと、屈(こご)んでいた雪江さんが、其時(そのとき)勃然(むっくり)面(かお)を挙げた。

 見ると、何だか口一杯頬張っていて、私の面を見て何だか言う。言う事は能(よ)く解らなかったが、側に焼芋(やきいも)が山程盆(ぼん)に載っていたから、夫(それ)で察して、礼を言って、一寸(ちょっと)躊躇(ちゅうちょ)したが、思(おもい)切って中(うち)へ入って了(しま)った。

 雪江さんはお薩(さつ)が大好物だった。

                ◆

 と雪江さんが不審そうに面を視る。私は愈(いよいよ)狼狽(ろうばい)して、又(また)真紅(まっか)になって、何だか訳の分らぬ事を口の中で言って、周章(あわ)てて頬張ると、

「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方が好(い)いわ。」

「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャ喰(や)りながら、「何(なに)は……何処(どこ)へ入(い)らしッたンです?」

◯勧業債券を買った人が当籤せぬ先から胸算用をする
 取らぬ狸の皮算用

◯驚破
 びっくりすること

◯勃然
 いきなり

◯お薩
 サツマイモのこと

☆ワンポイントアドバイス
 憧れの女性が焼き芋を頬張っている。そんな姿を見た主人公があっけにとられていると、女性が一緒に食べようと誘うのです。二葉亭四迷の胸の高鳴りを想像しながら読んでみてください。

二葉亭四迷(ふたばてい・しめい)●元治元(1864)年~明治42(1909)年、江戸市ヶ谷(現・東京都)の尾張藩上屋敷に生まれました。外交官を目指し、東京外国語学校(現・東京外国語大学)でロシア語を学びます。坪内逍遥を訪ねて「新しい小説」に目覚め、『浮雲』『平凡』など、それ以降の小説に大きな影響を与える、写実的な言文一致体を生みだしました。ロシアから帰国途中、ベンガル湾で亡くなります。

 いかがでしたでしょうか。もっといろんな話を読んんで見たい人は、ぜひ『1分音読』をお求めになってみたくださいね!

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お話を伺ったのは……●山口謠司(やまぐち・ようじ)● 1963年、長崎県生まれ。大東文化大学文学部教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。『1分音読』(自由国民社)ほか著書多数。