自らが実験台になれるのが楽しい
高須院長に、尿路系がん細胞が見つかったのは2015年。精査の結果、腎臓と膀胱にまで拡大していた。その3年後、全身がんであることを自身のツイッターで公表し、大きな話題を呼んだ。
「いつからか、がんって克服しなきゃいけないもの、闘って勝たなきゃいけないものになってしまった。僕は、浄土真宗の僧侶でもあるから“受け入れること”こそが大事だと思うの。
受け入れたうえで、どう向き合うかが大切なのに、『勝つ』とか『克服する』が前提になっているのはおかしいよね。高齢者に、『病気に負けないで! 頑張って!』って、無理があるだろって」
そう笑い、「だから僕は受け入れたうえで、実験台になろうと思っている。いまいちばんやりたいのは、がんの治し方を探ること」と言葉に力を込める。闘病の様子を、Twitterやインスタグラムなどを駆使して発信するのもそのためだ。
「がんの標準治療をしながら、みんなが眉をひそめるような治療もひと通りやっている。例えば、僕の血液を特殊な治療器具で体外循環させ、そこからリンパ球に含まれる“がんを攻撃する細胞”を取り出し、その細胞を培養して増やして点滴で再び身体に戻すという免疫治療もやってみた」
効果が保証された治療ではないから、保険は利かない。自己責任となるが、「恐怖よりも興味が勝っちゃう」と淡々と語る。
「死ななければいいんだから、とりあえずやってみる。ぼーっとして死ぬよりも全然いい。うまくいったら僕の利益になるし、うまくいかなかったら後学のためになる。どっちに転んでもメリットはある」
美容整形は、もともと生まれ持った自分をさらに美しくするという幸せ追求医療─「サーチ・オブ・ハピネス」とも言われている。高須院長は、がん体験の中にあっても幸せを探している。
読者の中には、こういった高須院長の行動を「強がりでは?」と考える人もいるかもしれない。だが、高須院長は、47年間連れ添った妻で医師のシヅさんが転移性肺がんで亡くなった際も、夫婦二人三脚で計画的に病と対峙している。
シヅさんは、'99年、世間を驚愕させた若返り手術『ハードケミカルピール』を日本で初めて成功させた人物だ。高須院長自らが実験台となり、妻の手によって顔を20歳若返らせた。彼女は、過去のインタビューでこう述べている。
「うまくいかなかったらいかなかったで、すごく財産になる。成功したら、高く評価されるのだからやりなさい」
シヅさんにがんが見つかった際、余命は「よくもって3年」と宣告された。積極的に自らが行動し、闘病の身でありながら夫婦そろって旅行にも出かけた。韓国旅行では万馬券も当てた。3年どころか9年の月日が流れた後、シヅさんは息を引き取った。「充実していた。漫然と生きているのはよくないと思い知った」、そう高須院長は述懐する。
「この世に生きている間は、この世の中で解決できるはずなの。だったら、やりたいことはやったほうがいい」