自宅に到着するなりいきなりパトカーへ
あの日、賢二さんのもとに一報が届いたのは、東北新幹線・新白河駅(福島県)の上りホームだった。勤めていた会社の出張で出席した会議の帰途で、一緒にいた部下の携帯電話を通じて会社から連絡が入った。
「ご自宅で火事が起きたようです」
ひょっとして妻が起こした失火だろうか。そんな不安に苛まれ、飛び乗った新幹線のデッキから電話をかけまくった。
ようやく妻の友人宅につながった電話で、順子さんが病院へ搬送されたことを知る。その病院に電話をかけ、名前を名乗ると、電話口の声が女性から男性に変わった。
不吉な予感がした。
「実はお嬢さん、病院に到着したときにはすでに亡くなられていました」
東京はその日、雨が降っていた。柴又の自宅へたどり着いたころはすでに暗くなっており、周辺にはパトカーや消防車、救急車が止まっていた。二重三重の人垣をかき分けて「小林です」と名乗り出ると、屈強な男性にパトカーの中へ引きずり込まれ、車内でこう告げられた。
「お父さんよく聞いてください。順子さんはただの事故死ではありません。何者かに殺されました」
ここで初めて「事件」だと知った。そのまま亀有警察署へ連れていかれ、すぐに事情聴取が始まった。
順子さんの遺体が見つかったのは、2階にある賢二さんと妻の和室だった。口を粘着テープでふさがれ、首には複数の刺し傷。小型刃物が使われたとみられるが、現場で犯行に使われた凶器は見つかっていない。
両手は粘着テープで、両足はストッキングでそれぞれ縛られ、遺体には布団がかけられていた。着衣に乱れはなく、死因は失血死とみられる。
順子さんはすすを吸っていなかったことから、犯人は殺害後、証拠隠滅のために火を放った可能性がある。
2日後に米国留学を控えていた順子さんの自室には、旅行カバンやリュックサックが用意されていたが、物色された形跡はなく、トラベラーズチェックや現金など14万円相当は手つかずのまま。
順子さんは、賢二さんと母、幸子さん、姉の4人暮らし。その日は姉も仕事で外出しており、幸子さんは午後3時50分ごろ、パート先の美容院へ出かけ、順子さんは1人になったところを襲われた。
火災の119番通報があったのは午後4時39分で、犯人は49分以内という短時間で犯行に及んでいたのである。
米シアトル大学への留学を心待ちにしていた順子さんの身に、一体何があったのか。