シンクロ日本代表として活躍後、娘を連れてシングルマザーとなり、パニック障害を発症。25年苦しんだ。生きる自信をなくし絶望していた彼女を救ったのは、書店で出会った客だった。以来、客と対話を重ねておすすめの本を手渡す時間が生きがいとなる。町の小さな書店が次々と消えゆくなか、大型店やネット書店に負けない努力と、気骨のある姿勢で闘う書店――そこは、本を介して人がつながり、心を通わす場所だった。
1500人のお客の好みを覚えている
「いらっしゃいませ。どんな本をお探しですか?」
わずか13坪。店内はぐるりと15歩で回れるくらいの狭さ。そこが、二村知子さん(61)の“闘いの場”だ。
大阪市中央区の地下鉄谷町六丁目駅のすぐそば。オフィスビルが林立する大通り沿いに隆祥館書店はある。二村さんの父・善明さんが72年前に母と創業し、今は2代目の二村さんが切り盛りしている。
手書きのポップが本棚のあちこちに張られ、壁には過去のイベントの写真やチラシが何枚も張られている。どこか懐かしい感じがする店内にお客が入ってくると、二村さんは明るく声をかける。雑談をしながら仕事や好みを把握し、これぞと思った本をすすめる。
大阪市内で小さなスポーツ用品店を営む田中敬人さん(67)は書店の近くに問屋があり、常連になった。
「二村さんはね、テレパシーで心を読まれてんのん違うかなーと思うくらい(笑)。すすめてくれるのは私にぴったりな本ばかりです。初めて来たときも、親父が亡くなって落ち込んでいたんです。西国のお寺回りが好きだけど、コロナでどこにも遊びに行かれへんし。そんな話をしたら、大阪を舞台にした『幻坂』(有栖川有栖著)を紹介してくれて。読んでみたら、遠くに行けなくても、近くにこんないいところがあったのかと」
店内の本棚には足元から天井近くまで本がぎっしり。そこを見て回るのも楽しいと田中さんは顔をほころばせる。
「ジャングルで宝物を探し出すみたいで面白い。しかも二村さんのフィルターを通した本ばかりやから、何を買ってもハズレがないんです」
二村さんは相手が子どもでも、満足できる本を見極める。中学1年生の男の子が子ども向けの歴史の本を買いに来たときは、話を聞いてかなりの歴史好きだと感じた。
「あなたはこの本では満足しないんちゃう?」
すすめたのは『ミライの授業』(瀧本哲史著)だ。
その本を読んだら面白かったと、男の子から経緯を聞いて、祖母の黒田美砂子さん(69)も書店を訪れた。中学校の国語教諭だった黒田さんは本好き。だが、大型書店では欲しい本がなかなか見つからず辟易していたと話す。
「それがこの店に入った瞬間にね、“読みたいと思ってた本がいっぱいあるわ”と。あー、これも、これもと10冊以上買ってしまって(笑)。家にはまだ読んでない本がいっぱいあんねんけど、ここに来たら、また買ってしまう。二村さんは、おすすめ上手やから(笑)。『典獄と934人のメロス』(坂本敏夫著)なんか自分では絶対に選ばない本だけど、すすめられて読んだら、うわ、こういう事実があったのか。全然、歴史を知らなかったなと」
同書は関東大震災で火の手が迫った獄舎から、囚人を信じて一時的に解放したという史実を基に元刑務官が書いたノンフィクションノベルだ。タイトルからは何の本かわかりづらいので、丁寧に内容を説明して、1年間で500冊売ったという。
二村さんがすごいのは、話をしたことがあるお客なら顔を見れば、どんな本が好みか大体覚えているところだ。その数は1500人を超えるというから驚く!