上皇さまが即位されるまでの約20年間、知り合いを通じて桃を献上し続けた。つまり、'60年代から'80年代にかけて、間接的に交流を持っていたということになる。
「どうやっておいしいものをお届けするか、ひたすら考えた。肥料や土壌、天候や収穫時期……、すべての条件が整った桃を桃の木をまるごと買って、完熟したタイミングで送るようにしてね。
上皇ご夫妻だけではなく、お子さま方も召し上がっていたようで、知り合いを通じてお礼状をいただいたことも。上皇陛下は“どうして、こんなにおいしいの”とおっしゃっていたと聞きました」
ウインタースポーツは皇室とも縁が深い
上皇ご夫妻が公務で愛知県を訪問されたこともあった。
「そのとき、当時の市長に“宇野さんにお礼したい”と面会を希望してくださったそうでね。市長から僕の自宅に電話があったけれど、たまたま不在で、残念ながらお目にかかれなかった……」
そんな宇野さんに、再びチャンスが訪れたのは、'79年11月。美智子さまと当時10歳の黒田清子さんが、母娘ふたりで犬山市を訪問された。
「美智子さまは、そのときも市長に“宇野さんにお会いしたい”と伝えてくださった。僕も“今度こそは”と思って、おふたりがいらっしゃる犬山城の前でお待ちしていたので、ついに面会が実現。直接お話しできたことは今でも記憶に残っています」
当時は豊かな交流があったものの、平成以降はつながりが途絶えてしまった。しかし、
「美智子さまは新聞や週刊誌をよくお読みになると聞きますし、メディアの取材にも応じている宇野さんと孫の宇野昌磨選手の関係をご存じなのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
ウインタースポーツは、皇室の方々にとっても深くなじみがある。
「陛下や愛子さま、佳子さまがスケートを習われていたのは有名な話です。上皇ご夫妻も札幌冬季五輪の前年にあたる'71年には、プレ大会の会場のスケートリンクで手を取り合って滑られていました。華々しく活躍する宇野選手の姿をご覧になって、皇太子妃時代に築いた宇野さんとの交流を懐かしんでおられたかもしれませんね」(同・前)
“天下無敵”という花言葉を持つ桃が、美智子さまと世界王者との縁を生み出した─。