治療入院を話す自分の言葉が震えていた驚き
青森支社時代に発症した1回目は、がん摘出も含めて1週間で退院。だから支社長への報告だけで済ませた。2回目は進行性がんで摘出後に約2カ月間の抗がん剤治療が必要となり、黙って休むわけにはいかなかった。
2020年1月中旬、東京本社での課内定例会議。小杉さんは会議の終盤に抗がん剤治療で1月末から2カ月ほど休むことを同僚に伝えていた。いざ話し出すと、自分の声が予想以上に震えていて少し驚いたという。
「もっと淡々と話せるはずだと思っていたんですが、実際にはものすごく緊張しました。声の震えは止まらないし、そのうち涙腺も熱くなり、なぜか涙も少しにじんできたりして……」
かろうじて話し終えると、その場はしんみりと静まり返った。
「それも想定外でした。『えっ、大丈夫?』とか、『そうだったんだ!』って、もっとワサワサした感じになるかなと思っていたのに、しーんとしちゃって……。当日の午後も業務関連の話を普通にしていましたし」(小杉さん)
腫れ物に触るような感じに彼の孤独感は募っていた。
がん保険を扱い、病気への理解が進んでいる企業でさえ、職場でのカミングアウトは難しい。前回記事の大登さんの「将来はがんを普通に公表できる社会になってほしいですね」という言葉が、改めて思い出される。
当日何かの折に1対1になると、同僚から「ビックリしたよ」などと、普段どおりに声をかけられて少し安心した。会議の席では周りもどんな言葉をかけていいのか、戸惑っていたことに小杉さんも気づけたからだ。
3月末に退院。4月中旬に職場復帰のつもりだったが、コロナ禍による全社規模でのリモートワークが本格化。自宅での仕事再開となったのも幸運だった。
5月、小杉さんは自身の治療経験をオンラインで約30分間、エンドユーザーと接する代理店スタッフなど約100人に話す機会を得た。小杉さんが発案したものだ。