泣いてる私の横で笑っていた娘
楓音ちゃんが2歳になると、妊婦のときに知り合ったママ友との付き合いを避けるようになった。同時期に生まれた子どもたちと娘の成長に明らかな差を感じることが、つらかった。
そんなある日、ブログで大田原症候群の子を育てるママを見つけ、会いに行こうと決意する。
「その子は3歳の男の子で、寝たきりでした。でも私はうれしかったんですよ。先輩ママがとにかく明るかったから。先が見えない恐怖を抱えていたので、心の準備ができたんですね。家族が明るければ、大丈夫だって」
悩みを共有できる仲間の存在に大きく救われ、胸のつかえが少しだけ取れた気がした。
そして数日後、さらに玲子さんを奮い立たせる出来事が起こる。楓音ちゃんをバギーに乗せて買い物に出かけた日のことだ。手をつないで横断歩道を渡る幼稚園の子どもたちの姿が目に入り、涙があふれてきた。
「歩いてる子どもたちがキラキラして見えちゃって。楓音にこう育ってほしいなんて強い要望はなかったけど、ただ手をつないで歩きたかった。歩かせてあげることすらできないと申し訳ない気持ちで、虚しくなって……。涙が止まらなくなっていました」
当時を思い出した玲子さんの声が少しかすれる。そのとき、隣に座る楓音ちゃんが「あー」と声を上げて笑った。玲子さんは、そちらに顔を向けて笑い返し、話を続けた。
「まさに、こんな感じですよ。あの日も、私が泣いている横で楓音がめちゃめちゃ笑っていたんです。悲しい気持ちで幼稚園の子どもたちを見ていた私に対して、楓音は同じ光景をニコニコして見ていた。
手をつないで歩けないことを不幸だと決めつけるのではなく、彼女なりの幸せがあるはず。親子だけど、心は私とは違う。彼女が笑顔でいられる方法を考えればいいんだって、気づいたんです。娘が幸せでいられるように」
その日から家に引きこもりがちだった生活は一変する。
前述の先輩ママのみならず、同じ境遇の家族と積極的につながりをつくり、患者会やイベントに携わった。
障がい児の手形を集めて大きな絵にする『ハンドスタンプアートプロジェクト』。大田原症候群の患者会『おおたはらっこ波の会』の立ち上げなど活動の輪を広げ、今や7つのプロジェクトの中心メンバーとして活躍している。
「“死にたい”って言っているママがいると聞いて、誰かの役に立ちたいと思いました。私がかつて明るいママを見て大丈夫だと思えたように、重い障がいがあっても楽しんでいる様子を積極的に発信して、ネット上の悲惨な情報を、明るい情報に書き換えていきたいんです」