演劇部の部室が居場所になった
退院するころには、身長もずいぶん伸び、「顔までひねちゃって今みたいになった」(麿)。1年遅れて学校に戻ると、頭がクリアになっていた。勉強も、不思議なほどできる。
中学入学後は、また入院するのはごめんだと運動部を避け、全く稼働していなかった演劇部に入部。校内放送で部員を募ると、男女合わせて10人が集まった。
同級生に比べ大人びていた麿さんは、先生からも一目置かれる存在だった。1年生から部長を任された。
「なぜか、お母さんがいないとか、親父が死んだとか、お母さんが2人いるとか、そういうやつらが演劇部に集まってきた。みんなでよく悩みを話し合ってね。いろんな事情があるんだなと思いました」
部室になった講堂の控室は、格好のたまり場になった。
叔父も叔母も優しいが、どこか心を開けない。弟や妹もいとこであって本当のきょうだいではない。少し遠慮するところがあった。家に帰っても2階の自室に篭(こも)るだけだ。
「家よりも部室にいるほうが落ち着く。あの部室はみんなにとっての居場所でした」
演劇部での初舞台は、麿さんがオリジナルの脚本を書いた。タイトルは『父帰る』。父の本物の軍服を着て、サーベルを持ち、主演を務めた。
「もし父さんが帰ってきたらどうなるんだろうと思ってね。父さんが生きているという夢をよく見ていたから」
同じような心情の先生や生徒も多く、学内でも好評だったが、麿さんにとっては演劇の面白さよりも仲間といることが何よりの救いだった。その部室だけが自分のままでいられる心の拠(よ)り所だ。
「現実を真っすぐ見るよりも、虚構に逃げたんだろうな。芝居という虚構の世界に疑似家族をつくっていたんだと思う」