自宅で看取れるかは運で左右される部分も
こうして時系列で話してもらうと、「家で最期を迎えるのは意外とうまくいくものだ」と思うかもしれない。でも、村井さんは当時を振り返り、「私たちは運がよかったんです。少しでも状況が違ったら、病院で亡くなっていたかもしれません」
と言う。では、どんな点が運がよかったのか。
●父親は膵臓がんの末期で余命が、ある程度予測できた
●それほど痛みが強くなく、苦しまなかった
●父親は暴言を吐くこともなく、穏やかな性格で、家族や専門職の介護を快く受け止めた
●介護する家族が全員健康で介護中に病気になることはなかった
●姉と村井さんは両親とは別居だった
●家族や専門職のチームワークがよく、意見の対立などがなかった
●家族の介護経験が豊富だった
父親の余命は半年。まずは「半年頑張ろう、という目標が立てやすかったのは大きいですね。これが、長引く病気だったらみんな身体を壊していたかもしれません」
また、病状が大きく変化することがなく、徐々に徐々に悪くなり、静かに亡くなったことも非常に大きかったという。良くなったり悪くなったりの変化が大きいと介護する人たちは翻弄され、とても疲れる。
そして病状の変化が大きければ受診してそのまま入院、となるケースも多いだろう。そうなるとなかなか家にも戻ることができない。
また、父親の性格がとても穏やかで、周囲の人たちの介護を自然に受け止めてくれたのも大きかった。
全員が健康だったこともポイントだが、介護により体調を大きく崩さずにすんだのは、父親の穏やかな性格も関係していたといえる。
そして、村井さんは「姉は実家まで車で2~3分のところに住んでいて、私は徒歩1~2分の距離。すぐにかけつけられるけれど、あくまで別居なのもよかったと思いますね。
家に帰れば頭を切り替えられますし、夜はぐっすり眠れます。だから健康を害さなかったのだと思います」
さらに、村井さんも姉も介護のプロ。母親も介護経験者だ。知識も技術も普通の人よりも上だから、その点でも疲れの出方が違い、また父親の健康観察なども適切だったことも、父親が体調を大きく崩さなくてすんだ要因といえるだろう。
そんな家族がデイサービスの管理者や訪問看護師、在宅医と情報共有しながらよいチームワークで介護ができたことが、「家で最期を迎える」を可能にできたといえる。
では、これだけの要素がそろっていないと「家で最期」は難しいのだろうか。