過度のストレスによりまぶたが開かなくなる
係争の間は過度なストレスと将来への不安で、何日も眠れない日々が続いたという。
「お金の不安が大きかった。生活費に加えて半分残っている住宅ローンの支払い、さらに借金の返済もあったんです」
実はyamaさん、47歳のときに会社を辞めて大学院に入っている。
30代でシングルマザーとなり、女手ひとつで2人の子どもを大学まで出し、子どもたちが成人したのを機に自分も学び直したいと大学院へ進学。その時に借りた奨学金60万円の返済が重くのしかかっていた。
「収入がある前提で生活プランを立てていたので、老後への蓄えはおろか貯金もほぼなくて……」
生きることへの絶望が膨らみ“いのちの電話”に電話をかけるほど追い詰められていく。そして、まぶたが開かないというストレス性の神経症を発症。人生のどん底だった。
当面の生活費をどうするか。失業保険を受給できるとはいえ、支給額は前職の給料の6割程度、支給期間も半年ほどだ。その間に生活が立て直せるのか。
「目の病気でお世話になっていた医療ソーシャルワーカーさんに相談すると、金銭面についてもアドバイスをしてくれました。そして退職後でも傷病手当が受給できると教わって。
給料の約70%を半年ほど受給でき、その受給が終了してから、改めて失業保険を受給できると知りました」
この方法で1年ほどは生活費がまかなえる。ホッとした。ではその間に何をすべきか。最初に取りかかったのはまだローンが残っている都内の3LDKの自宅マンションを売却することだった。
「けれども20年以上住んだ愛着のある住まい。決心がつかなくて、銀行に相談をしてわかったのは、やはりローンを支払い続けるのは難しく、“住み続けるのは無理”ということ。そしてとうとう売却することを決意したんです」
決めてしまうと行動が早いのがyamaさん。すぐに数件の不動産会社にあたり、売却を依頼していく。自分でも不動産サイトなどを見て「少しでも高い値段で売るにはどうしたらいいか」を研究。
自分で自宅写真を撮り、物件紹介サイトの文章を練り直すなど、不動産会社に任せきりにせずにアプローチを重ねていった。そのかいあって、見込み金額よりも高い値段で売却することができた。
「ローン残高がゼロになったときは、晴れ晴れしました。奨学金も一括返済して借金がすべてなくなり、気持ちがすごく軽くなったのを覚えています」
当面の生活費を確保したyamaさん。「これからは小さく暮らそう」と、都内の1LDKの賃貸マンションへ引っ越しをする。このとき59歳。新たな生活がスタートする。