伝説の幼少期編
(8)ガキ大将キャラ
「小学生のときから身体が大きく、ガキ大将のようなところはありました。でも昔から頭がよくて、悪いグループに入るようなことはなかった。中学生になっても、ふざけてちょっかいを出してくるような明るいキャラで、誰からも好かれていました。もしかしたらプロ野球選手になるかもとは思っていましたが、まさかここまでとは(笑)」(小中学校の同級生)
(9)硬式クラブを希望
翔平は小学2年で野球を始めたが、小学校のチームには入らず『水沢リトル』という硬式野球のチームへ入団している。監督が“このチームには友達がいないけどいいの?”と聞くと“大丈夫です。僕は硬式をやりたい!”と答えた。
(10)中学でもホームラン連発
チームに入って1年たつ小学3年時には、すでに頭角を現していた翔平。
「そのころ、すでにフェンスオーバーのホームランを打っていました。さらに、中学1年生になったころには年間35本ものホームランを記録。あとにも先にも、あんな経験はなかったです」(同・当時のリトルリーグの監督)
(11)父親と交換日記
小学校5年生ごろまで、父親と“野球ノート”と称した交換日記をしていたことを明かしている。父親にはアドバイスや今後の課題をもらい、翔平は自身の反省を書くスタイルでコミュニケーションを取っていた。
(12)信号機を破壊
リトルリーグ時代、翔平が打ったボールが場外へ。歩行者用信号に当たり、信号機は破壊されてしまったという。
(13)18アウト中17奪三振
異次元の能力は、中学時代にも垣間見えた。
「翔平くんが中学1年生のときに行われた、リトルリーグの東北大会の代表決定戦でのこと。“負けてもいいから力を抜いて投げなさい”とアドバイスすると、なんと17個も三振を取ったんです。そもそもリトルリーグは6回までしかないので、最大でも18アウト。あまりの結果に相手チームは静まり返ってしまい、異様な雰囲気でした」(前出・監督)
(14)憧れは菊池雄星
花巻東高校に入学した翔平。選んだ理由は3学年上の憧れの先輩の出身校だったため。花巻東高校は、現在メジャーリーグのブルージェイズで活躍する菊池雄星選手の母校。翔平は菊池選手の大ファンだったのだ。
(15)大谷ノート
翔平が高校1年生のときに作成した目標ノート、通称“大谷ノート”では、「ドラフトで8球団から1位指名を受ける」という当時の夢とともに、「体づくり」「スピード」、果ては「運」や「人間性」などの必須項目を並べ、さらに細分化した目標を立てていたという。当時からストイック!
(16)高校時代は“夜は米7杯”
厳格な食事管理をすることで知られる翔平だが、その始まりは高校生から。
「朝は茶碗3杯、夜は7杯分のお米をノルマとして食べていたそうです。取材で“学生寮では、日曜日はカレーだったから、何杯でもいけた”と豪語していましたよ」(前出・スポーツ紙記者)