原因不明の膝痛で降板

 忙しい毎日を送る中、帝国劇場の公演前、身体に異変が起きる。'89年のことだ。

 舞台稽古中、右膝に激痛が走ったのである。整形外科を受診しても原因がわからず、やがて膝が曲がらなくなってしまった。舞台、テレビのレギュラー番組、そしてCMも降板を余儀なくされた。

 芸能リポーターに追いかけられ家にいることができなくなり、ある寺院の離れに避難した。お寺を仲介してくれたのは高校時代の恩師、児玉信広先生だった。境内に植わる野草を見ながら恩師はこう言った。

「野山に咲いている目立たない草は、百合のような派手さこそないが、懸命に己の命を咲かせている。君もこんなことでへこたれるな」

 降板後、自分が出ていた番組を見たときのことを思い出した。自分がいなくても番組は問題なく放送されていた。降板した舞台も代役が手配され無事、幕が開いた。迷惑をかけて申し訳ない気持ちはあったが、こうも思った。

「自分にしかできない仕事をやらなければ。私の命をかけて生み出せる舞台をつくり、演じていくのだ」

 心が整うと、奇跡のように脚が伸びるようになってきた。少しずつリハビリをして歩けるまでになった。

 1年かけて回復し、まず始めたのは、ずっと目標にしていた横浜発の芝居づくりだった。五大さんが選んだのは、横浜生まれの劇作家・長谷川伸による作品、『ある市井の徒』である。

 これは長谷川の半生を描いた自伝的作品。幼いころに母親と生き別れ、小学校は中退。いろいろな仕事を経験しつつ独学して、新聞記者に─。

 五大さんはこれを一人芝居で演じることにした。親友の岡安さんをはじめとする学生時代の友人などに支えられながら、地元のライオンズクラブの招きで演じたときのこと。芝居のあとに一人の男性が駆け寄り、涙を流しながら自分の母親のことを語り始めた。

「その人の涙を目にしたとき、自分の進むべき道が決まったのです。1人での出発が始まりました」

 役者人生の危機を乗り越え、自分の進むべき道が定まった。

 それからほどなくして、大きな出会いが待っていた。「ハマのメリーさん」である。