『難破船』はこうして作られた
『知床旅情』や『百万本のバラ』などで知られ、今年でデビュー60周年を迎えるシンガー・ソングライターの加藤登紀子(80)は、デビュー当時の明菜についてこう語る。
「幸せそうな82年組の中で、明菜さんは何か傷ついたものを抱えている手負いの少女のイメージがありました」
やがてアイドルから脱皮。アーティストとして独自の世界を築きつつある明菜の姿を見て、加藤の中である思いが芽生えていく。
「'84年にレコーディングした『難破船』は、私自身が20歳過ぎに経験した初めての失恋をモチーフに作った歌。この曲を22歳になったばかりの明菜さんに、歌ってほしかった」(加藤)
初めての失恋。そんなストーリーは彼女にしか歌えない。
そんな思いから加藤は歌番組で共演した際、スタジオの隅でひっそりと出番を待つ明菜に、
「あなたにぴったりの歌があるの。歌ってみません? もしあなたが歌うなら、私はしばらくこの曲を歌わない」
そう言って明菜にカセットテープを直接、手渡した。
まもなくして、加藤のホールコンサートの楽屋に明菜から艶やかな花が届けられた。
「メッセージこそなかったけれど、これが明菜さんからの返事だってすぐにわかりました」
担当ディレクターの藤倉氏は楽曲の素晴らしさに、たちまち心を奪われた。カバー曲であっても情念の歌を歌わせたら、明菜の右に出る歌手はいない。
そう信じて、明菜の背中を押した。
「これはシングルにすべき曲だし、歌うべきだよ」
明菜の歌う『難破船』に加藤は心奪われたことがある、と告白する。
「共に出演した『夜のヒットスタジオ』での出来事。明菜さんが間奏で思わず一筋の涙を流す。その涙を見て私はドキッとしました。
悲愴感の漂う情念の涙。私は昭和の歌姫・美空ひばりさんが名曲『悲しい酒』を歌いながら流す涙を思い出しました。あのときの光景が今も忘れられません」(加藤)
初めての失恋に心痛めるヒロインの心情を『難破船』で切々と歌い上げた明菜。
しかし私生活の明菜は、
《たかが恋なんて 忘れればいい》というわけにはいかなかった。