目次
Page 1
ー 父との二人暮らし
Page 2
ー 親の自立を妨げずコミュニケーションは密に
Page 3
ー 今の両親の姿に未来の自分も重ねて

 

今年還暦を迎えた編集者・一田憲子さんは、兵庫県に住む92歳の父と81歳の母の遠距離介護をしている。「昭和の企業戦士だった父、専業主婦だった母の老いを……最初は元気だったイメージが強すぎて、受け入れられず、葛藤もありました」「年をとる」というのはどういうことなのか、親の姿から見える老後とは―。

 暮らしにまつわる情報をメディアで発信している、一田憲子さん。そんな一田さんの日常を大きく変えたのは、3年前、当時78歳の母が肩に人工関節を入れる手術だった。

父との二人暮らし

父はいつも夕食後、テレビを見ながらアイロンがけをしている(写真提供/一田憲子)
父はいつも夕食後、テレビを見ながらアイロンがけをしている(写真提供/一田憲子)

「母の入院中、89歳だった父と2人で暮らすことになったんです。亭主関白だった父は電子レンジも洗濯機も使えない。実家には時々、帰っていましたが、父の定年後も母が一切の家事をこなしていたんだと初めて知りました」

 父に電子レンジの使い方を伝え、週の半分を実家、残りの半分は自宅のある東京で過ごす生活を1か月間続けた。

「自宅とは勝手が違う中、家事をしているとあっという間に1日が終わっちゃう。親との生活は思っている以上に大変だ、と感じましたね」

 偏食な父のためにメニューを考えるのはひと苦労。でも、ときには気を使い、好物には「うまいの~」と言ってくれ、互いに歩み寄りながらのセミ同居だったという。

 日中もウトウトすることが増え、立ち上がるのに時間がかかる父の姿を目の当たりにしてショックも受けた。

「東京に戻るたび、父がご飯を食べて生活できているかが心配でたまらず、泣いてしまったこともありました」

 年齢とともに父は背が10cmも縮み、一田さんと同じ目線に。定年後、60代から始めたフランス語学習などにはりきった時期もあったが、思った以上に老いが加速していると切なくなった。

「『老い』に関する書籍を片っ端から読み、日々のことを書き綴っているノートにも愚痴や不安を吐き出しましたが、1か月後には4㎏痩せていて、治まっていた更年期障害の症状も出てしまったんです」

 母のほうは、手術が成功するものの、背骨が湾曲する「側彎症」の症状が進行。

「腰や足の激痛から、我慢強い母が『もう生きていたくない』と、弱音を吐いたんです。電話で話しているだけで胸がつぶれる思いでした」

 両親は何歳になっても“娘”を守ってくれる存在だったが、「親はいつまでも親のまま」ではない─。

「これからは私がケアをしていかないといけない。同時に自分が老いてできないことが増えていくことに、漠然とした恐怖を感じました」