最終日の前夜、僕はシフトに入って、洗い物や片付けを手伝った。深夜0時に閉店すると、パチパチパチと小さく拍手が起こる。おっちゃんの奥さんが、「ヤダ、あと一日あるのよ」と笑う。おっちゃんもニコニコしながら、手を動かしていた。
僕は「一緒に宇都宮に行って餃子を食べ歩きする」という約束を今年中に果たそうと、抱き合いながら伝えた。
宇都宮はおっちゃんの地元で、何度も「おっちゃんオススメの店何軒かを食べ歩きしよう」と話していたのに、実現できないままだった。おっちゃんは「これでこっちは暇になるんだから、行こうぜ!」と笑顔で洗い物をしながら答えてくれた。
僕が暖簾(のれん)をくぐって外に出ると、その店でしか会わないが、二十年くらい顔見知りだった男性が店先でタバコを吸っていた。男性が、「聞いた? おっちゃん、かなり悪いらしいよ」と心臓あたりを指差す。
腰痛以外で身体が悪いことを僕は知らなかった。タバコの煙を吐きながら、男性は「なかなか難しいですね」とこぼして店に戻った。
おっちゃんは店を閉めてから、二週間も経(た)たずに入院した。容態は落ち着いているが、この原稿を書いている現在もまだ入院したままだ。
いまから六年前、僕は一度だけ、両親に鮨(すし)をご馳走したことがあった。最初の小説の印税が入ったとき、絵に描いたような親孝行を一度きっちりしたくなって、銀座の鮨屋に両親を誘った。
母は「そんなお金があるなら貯金しておきなさい」と何度も言ったが、父は「そうか、ありがとう。お母さんと一緒に行くよ」と母を説得してくれた。