大阪市での判断に今後、国はどう動く
「様々な事情により家族と暮らせない子どもを一定期間、自分の家庭で養育する里親」(厚生労働省ホームページより)である“養育里親”。この養育里親に、大阪市が昨年12月、30代と40代の男性カップルを認定していたことが明らかとなった。同性カップルが養育里親に認定されるという日本ではまだ珍しい事例に、フィフィは慎重な姿勢を示す。

養育里親よりも、まずは意識や法律について考えるべき

 私は、セクシャルマイノリティに対して偏見は持っていませんが、同性カップルによる養育里親制度をこのまま進めていくことに対しては慎重派です。なぜなら、日本は法律や意識などの面でも、セクシャルマイノリティや同性カップルを受け入れるためのきちんとした環境が整っていないから。

 法律で同性婚も認めていない状況で、いきなり里親というシステムだけ先走ってしまうのはいかがなものかと思ってしまうんですよね。

 あるいは、セクシャルマイノリティへの意識という点でも日本は遅れています。セクシャルマイノリティを軽く見ているところがある。

 芸能界でもオネエとかオカマとして活躍している人はいるけど、だからと言って日本の社会がセクシャルマイノリティへの理解が進んでいるとは思えなくて。つまり、いまだに私はそうした人たちが本質的なところで理解されているのではなく、好奇な目で見られて面白がられているに過ぎないんじゃないかと思ってしまうんです。だって本来、いわゆるオネエの喋り方ひとつとっても、そうしたセクシャルマイノリティの姿はごく一部なのであって、こちら側が求めたステレオタイプみたいなものでしょう。

 法律も見直されない、セクシャルマイノリティへの間違ったイメージが残るなかで「とにかくマイノリティは受け入れなくてはいけない」という風潮だけが広がっていることに違和感があるんです。  虹色フラッグなどもそうです。虹色フラッグを掲げる前に、まずは冷静になって、マイノリティの受け入れに際し具体的にどのような問題が起きるかなど、制度の面から考える必要があると思うのね。そうしなければ、安易な受け入れはマイノリティ自身を苦しめる結果になってしまうこともありますから。

 また同時にこれはセクシャルマイノリティに限らず、日本における学校やコミュニティでの外国人受け入れ姿勢にも言えることです。まだまだ沢山の課題が残っているマイノリティについてその置かれている環境を本気で考えるならば、法律や意識といった本質的なところの改革を置き去りにしたまま、たとえば今回のように里親制度だけ進めることは順序として違うんじゃないかと思うんですよね。

養子そのものに対する違和感

 さらに今回の“養育里親”に対する世間の捉え方を見ていると、異性同性問わず、養子制度そのものに対する議論も不可欠になってくるでしょう。