小学生のころLDとADHD、中学生のころASDだと診断されたという漫画家の沖田×華さん。自らの「やらかし体験」を漫画で明るく表現している沖田さんが、同じく発達障害の悩みを抱える人たちに贈る言葉とは?
自殺未遂も……自覚なき発達障害
沖田さんが自身を発達障害だと自覚したのは、看護師として働きだしてから。周囲とのコミュニケーションに支障をきたしたのがきっかけだった。
「小学生のころにLDとADHD、中学生のころにASDとすでに診断されていましたが、ピンときませんでした。学生時代はどちらかといえばムードメーカーでしたし、ちょっと頭の悪い女子生徒くらいの感覚で。
でも看護師として地元の病院で働きだしたら、業務内容はわかるのに、“昨日のアレだけど”なんて会話の“アレ”がわからない。患者さんの顔も覚えられなくて、しょっちゅう間違える。私には弟が2人いて、下の弟は私より重度の発達障害なのですが、このころには、私もやっぱり……と思わざるをえませんでした」
人の顔が覚えられない『相貌失認』はいまだにひどく、実の母親であっても、急に体形が変わるとわからなくなるそう。
「母が急に太ったときは、“太った人が声かけてきたけど、誰?”みたいな反応をしちゃいました(苦笑)。でも写真だと完璧にわかる。動いているものに、脳がついていかないみたいです」
自分が何に困っているのかわからず、仕事もうまくいかない当時、かなりのストレスを抱えていた。
「人の話が聞けない。失敗して“死ね”と言われたら、真に受けて自殺未遂をする。努力すれば自分の欠点が補えると思っていたのですが、発達障害の特性を知らない限りは無理なんですよね。
結局、22歳のときに“親の言うことをずっと聞いてきたのだから、ちょっとは好きなことをしよう”と決意し、やっとなれた看護師を退職。とにかくこんな自分が生きていくにはお金が必要だと思い、名古屋の風俗で働きました」
早期発見が大切な子どもの発達障害
25歳のとき、今のパートナーである漫画家の男性と知り合い、東京に転居。自身も漫画を描き始め、風俗の体験を4コマ漫画で発表していたが、ひょんなことから発達障害をテーマとした漫画を描くことになる。そして今では、発達障害のリアルな日々、問題への対処法を描く『毎日やらかしてます。』シリーズが、4冊目にもなった。
「私は聴覚過敏があって、子どもの声がダメなんですけど、今はデジタル耳栓などで対策しています。つまり、解決法がわかっているんですね。でも、わかるまでの過程は長かったし、つらかった。
私と同じ思いをなるべくさせないよう、すべての発達障害の子どもが、どうしてパニックを起こすのか、どんな問題を抱えているのか診断を受けられる病院が増えたらいいですね。子どもは自分の嫌なことを、ただ嫌としか言えないもの。正しいテストを受けさせてあげたいです」
そうして早期発見できれば、社会との折り合いのつけ方を早めに学ぶことができる。
「今は養育にしても進んでいるので、2~3歳からでも対策を始められます。ADHDにしろASDにしろ、対策を日々の生活の中でルーティンの習慣にできれば、学校でも浮いてしまうようなことはまずありません。そして親御さんや先生は、できたことに対してほめてあげてほしい。私は昭和の時代だったということもありますが、小学校では息をしているだけで責められるくらい先生に嫌われ、つらい思いをしたので……」