認知症の母と向き合って20年―。介護と執筆で多忙を極めていたら、突然、乳がんを患った。そんなトホホな事態に小言を漏らしつつ、役に立たない同情は一蹴。淡々と運命を受け流す作家が、小説では描けなかった闘病の“現実”とは?

 

「ここが長年、母の遊び場だったのね。暑くても寒くても、ここに来れば何でもあるし。何よりきれいなお手洗いがあるので安心したみたいです。母は興奮してくると5分おきにトイレに行きたがったから、いちばん大事なのがトイレなのよ」

 そう言って、直木賞作家の篠田節子さん(64)は慣れた足どりで、八王子市郊外のこぢんまりとしたショッピングセンターに入っていった。

見知らぬ人に救われた

 95歳になる母は認知症だ。ひとり娘の篠田さんが長年見守ってきた。

 篠田さんはスーパーのイートインコーナーで足を止めた。母とよく過ごした場所なのだという。

 以前、そこで母に用意してきた昼食の弁当を食べさせていたときのこと。

「家で作ってきた弁当がいちばんだよなー。親孝行したいときには親はなしって言うからなあ」

 隣の席にいた作業員の男性が気さくに話しかけてきたので、篠田さんは思わずこう返した。

「親孝行、やってもやっても生きているとも言いますよ」

「このバカ娘が(笑)」

 笑いあっていると、母は作業員の持つ誘導用の赤い棒に目をとめて質問した。

「それは何に使うものなの?」

 見知らぬ人とのたわいないやりとりに、何度も救われたと篠田さんは振り返る。

 もともと母親が心を許せるのは娘だけだった。認知症が進むにつれ、その傾向がさらに強まったという。

「母は“他人の介入は絶対ダメ!”という感じだったから、デイサービスやショートステイなんかとんでもない。無理に連れて行っても、介護士さんに“ご飯食べられたかな?”とか声をかけられただけで、キッとなって、周りの人をみんな敵視しちゃうんです。そんな母が、作業員のおじさんとは楽しそうに話していたんですよ」

 篠田さんが次に向かったのは100円ショップだ。スラリとして背の高い篠田さんとは対照的に母は小柄だが足腰は丈夫。店内をひたすら歩き回ったそうだ。

「パソコンまわりのアクセサリーとか、何に使うかわからなくてもキラキラした小物が母は好きなんですよ。なにせ100円ですから、こっちもバブル親父みたいに、“何でも好きな物、買ってやるぜ”と(笑)」

 時間があるときは路線バスに乗って、大きなショッピングモールや駅前のデパートに連れて行った。ベンチに座って2人で弁当を食べていると、よく声をかけられた。母と同年代の高齢者が多く、中には隣に座って身の上話を始める人もいた。