退院後、杖をつきながらの仕事復帰。4月には大阪への転勤が決まり、30年ぶりに故郷の関西に戻った。
「梅田のあたりも変わってしまっていて、どこへ行くにも大変でした。階段の上り下りができなかったので、エレベーターやエスカレーターを探して。それだけで疲れ果てました。身体の不自由な方の気持ちがよくわかりましたね」
東京勤務だったときには、生活報道部記者として、食や暮らしまわり、がん医療についての記事を手がけてきた。新天地の大阪では学芸部に所属し、もともと関わりのあった美術や文芸の記事を担当している。
「がんを抱えながら仕事をすることは、これからバリバリやりたい、出世したいという野心のある若者だったら、きっと大変だったと思うんです。でも、年の功ですかね。できないものはできないと言える。そして、キャリアがここで終わってしまう、なんていうことも考えなくていい。自分は何も変わらないし、失うものはもう何もないですから(笑)」
患者が少しでも前向きに生きられるように
三輪さんは、当事者であることを生かし、「がん・ステージ4からの眺め」という記事を発信してきた。
部署が異動になり、最近はがんの取材がなかなかできなくなってきたのだが、治療10年を経過した自分の身に何が起こっているのか、知ってもらうことは大切だと考えている。
「私が闘病している間に、治療はどんどん進歩しました。それこそ、再発したがんさえも治ってしまうような事例も増えています。でも、ひと昔前だともっと早く死んでしまっていたものが、がんと共存できるようになったりしたからこそ出てくる、新たな問題もあります。
患者側からすると“医者なら何でもわかるはずだろう”って思いがちですが、実はまだまだわからないことも多い。データを超えて生きるとは、そういうことなんです」
だからこそ、著名人ががんで亡くなったあと、「発見が遅かったから」「治療を受けていなかったのでは?」などと、一方的に非難されているのを見るのはつらいと、三輪さんは言う。
「がんの症状も副作用も、ひとりひとり違います。“○○したから、がんになった”“あの人がこれで治ったから、あなたも”ということが単純に通用しないのが、がんの世界。きちんと治療をしていても、再発や死が避けられない場合もあるんです」
三輪さんは、患者が自分を追い詰めることなく、少しでも前向きに生きられるように、これからも発信を続けていくつもりだ。
三輪晴美さん ◎毎日新聞記者。2008年に見つかった乳がんは、骨にも転移が広がっていたステージ4。手術ができず、抗がん剤を中心とする治療を継続してきた。毎日新聞にて、『がん・ステージ4からの眺め』を発信中。