人生、何が起きるかわからない。一生の中でまさか自分が、刑務所にいる殺人犯や放火犯と深く関わるとは夢にも思っていなかった。
そして、彼らによって人間観のみならず世界観まで大きく変わり、自分自身さえ深く癒されるとは……。
奈良少年刑務所
ことの始まりは、2005年に長編小説で泉鏡花文学賞をもらったことだった。これを機に、わたしの夢だった「地方都市暮らし」を実行、デザイナーの夫とともに、親類もいない奈良に引っ越した。
まるで毎日が修学旅行のようで、あちこち見て歩いているうちに「奈良には明治の名煉瓦建築がある」と聞いた。それが『奈良少年刑務所』だった。
立派で風格があるのに威圧感がない。まるでお伽(とぎ)の国のお城のように愛らしくて、初めて見た時、息を呑んだ。
奈良少年刑務所は、明治政府が西洋社会に肩を並べたくて国の威信をかけて造った「明治五大監獄」の一つ。中を見たかったが入れず「矯正展」という一般公開日があると聞いて、心待ちにして訪れた。それが運命の分かれ道だった。
驚かされたのは、建物の美しさばかりではなく、展示されていた受刑者たちの絵や詩に目を奪われた。あまりにも繊細で、あまりにも切ない。想像とはまるで違うものが、目の前にあり、驚いているわたしに、刑務所の教官が語りかけてくれた。
「みなさん、ここには獰猛(どうもう)で手に負えない少年や、何を考えているのかわからないモンスターが来ているとお考えですが、違うんです。ここに来ているのは、むしろ引っ込み思案でおとなしい子や、礼儀正しい子がほとんどなんですよ」
これがきっかけで、わたしは刑務所で新しく始める情緒教育の講師を頼まれることになった。受講生は、強盗・殺人・レイプ・放火・覚せい剤などで捕まった少年たちだという。さすがに腰が引けた。しかし、刑務所の教育統括が真顔でこう言ったのだ。
「あの子たちはみんな、加害者になる前に被害者だったんです。ひどい虐待や貧困のなかで育ち、心がすっかり傷ついてます。まともな愛情を受けたことがないから、情緒も育っていない。さみしい苦しい悲しいという負の感情を感じたくなくて、心の扉をピタッと閉めています。すると、歓(よろこ)びも楽しさも入ってこなくなる。
だから、自分が何を感じているのかさえ、わからなくなっているんです。そんな子に『被害者の気持ちになってごらんなさい』なんていっても、わかるはずがありません。だから、先生には、絵本や童話や詩を使って彼らの心の扉を開き、情緒を耕して芽吹かせてやってほしいのです」
無理だ、と思った。絵本だの詩だのというヤワなもので、人を殺すところまでこじれた心をなんとかできるわけがない。けれど、熱意に負けて引き受けてしまった。ただし、一人では怖いから夫の松永洋介と一緒にと頼んだ。