その後、『AKIRA』や『童夢』などで知られる漫画家・大友克洋さんのアシスタントに入る。守村大の名は敬愛する大友さんと村野さんから取ったペンネームだ。
「それまでは自分のことを小器用だと思っていたけど、やべっ、届くわけねーじゃん!って。だって、周り見渡したら天才だらけだよ?」
いきなり目にした最高峰の現場はとてつもない衝撃だったことだろう。そこで己に課したハードルの高さが、現在の守村さんを形作る一要素になっているのは間違いない。
象徴的なのは、スノーボードにまつわるこんなエピソード。子どものころからスキーが得意だった守村さん、ある日のゲレンデでスノーボードに興じる若者を初めて見た。
「みんな板っきれに乗ってて、面白そうに思えてね。道具を全部そろえて、いきなり山のてっぺんに行ったんです。俺ができないはずはないって練習ゼロで。当たり前だけど、現実は5メートル滑ってはステーン、5メートル滑ってはステーン」
アザだらけになりながら、滑り方や止まり方を学んでゆく。守村さんと25年以上の付き合いになるバイク仲間の堀聡さん(55)は語る。
「先生は読書家で、知識も豊富ですけど、話していると3歳児みたいになることがあるんですよ。“どうして?”“なんで、そうなるの?”。気になったことは納得いくまでとことん突き詰めて、自分のものにしているんでしょうね」
「おもしれーじゃねーか」
物づくりのワクワクと心地よい疲労感を抱いて眠っていた入植当時、描きためていたというアイデアスケッチを見せてもらった。30冊以上におよぶノートには、幕末を生きるキャラクターたちの性格設定や暮らしぶり、時代考察などがびっしり。紙面から立ち上ってくる情熱に圧倒される。
「締め切りがないときに楽しいと思うことだけを暇にあかせて描いてるから、連載時より手間も時間もかかってるんだよ。懐かしいなあ。“いつかこのアイデアを漫画に描くぞ”と思えていたことが、あのころの自分を支えてくれていたね」
いったんは離れようとしていた漫画だが、創作への意欲が完全に消えたわけではなかった。それを感知したのか、『モーニング』編集部から連絡が入る。遊びにやってきた編集者から面白い暮らしぶりが伝わり、編集長から「年間20万円で生活する山暮らしエッセイを書かないか?」と提案を受け、'09年より始まったのが、『新白河原人』だ。
「んな無茶な! と思ったけど、おもしれーじゃねーか、受けてやろうと思ってね。わりかし本気で挑戦したんだよ」
炭窯を立ち上げて炭を焼く無電化生活にも挑戦。20万円で暮らすのは断念したけれど、今はそれも無茶な話ではないと思っている。
「日本人の主食って米なわけじゃない。うちの米消費量は2人で年間120キロ程度だから、年間3万いくらも食費にかければ、とりあえずは死なない。服なんてボロでいいし、エネルギーは炭と薪がある。野菜も卵もとれるし、鶏を絞めれば肉もあるからね」
消費経済から遠ざかり、精神的充足を求めた『モーニング』の巻末エッセイは、たちまち好評を博した。作家の椎名誠さんは単行本の帯に、「日本でいちばん逞しい男」と推薦文を寄せている。