住み慣れた家で生活できなくなった母親の気持ちを察し、娘は毎週、母親を訪ねている。しかし彼女のように、面会に来る家族はとても少ないということだ。

 寂しそうな入所者に気遣い、みんなのいる食堂で母親と話すことを避け、部屋で話すように彼女はしている。「いいね。あんたのところは娘さんが来てくれて。うちなんか、誰も来ないよ。息子がバカだから、ここに入れられちまったんだよ」。元気な入所者は、彼女に怒りをぶつけるという。

 でも、そんな恵まれた彼女の母親でさえ、「早く死んじまいたい」ともらすと娘は語る。決してホームの対応が悪いわけではない。スタッフは親切で、いい人ばかりだ。カラオケが得意な母親は、スタッフにいつも褒められている。それなのに、なぜ、死んでしまいたいのか。

 それは、老人ホームに入れられた老人は、どんなに立派なところを用意されても、家族に捨てられたという思いがあるからだろう。老人は、自分が家族の邪魔になっていることを敏感に察知する。

 家族から「お母さん、いつまで生きるつもりなの?」と面と向かって言われなくても、早く死んでほしいと思われていることくらいはわかる。

 娘に遠慮がちにつぶやく「死にたい」の言葉の裏には「知らない人の中で、死ぬまで暮らす精神的苦痛から抜け出したい。早くラクになりたい」という思いがあるからではないだろうか。

 一方、大家族の中で100歳を迎えた人は、決して「死にたい」とは言わないだろう。

 ホームの存在はありがたいが、孤独からくる満たされない心は、自分で満たすしかないのだ。

老人ホームの職員は「お年寄りは幸せですよ」と言う

「どんなことがあっても、老人ホームなんかには入らない。絶対に嫌だ!」という老人もいる。しかし、子どもの生活を考えると、結局は入居せざるをえない親は多い。

 有料老人ホームの利用価格にもよるが、高級なところに入居している老人の現役時代の職業は、医者、弁護士、会社役員などの社会的地位が高いものが多い。なので、わたしの家もそうだが、あまりお金のない家は有料老人ホーム入居の選択肢がないので、気がラクだ。

 家族としては、決して親を見捨てたわけではないが、温かい住み慣れた自宅から、知らない老人ばかりの施設に移るのは、誰にとっても寂しくつらいことだ。

 親を老人ホームに入れることのできた家族は、胸をなでおろす。老人ホームに入れば、食事、入浴、下の世話をスタッフがしてくれるからだ。ときどき、外から歌や踊りを披露する人が来てくれて、楽しませてもくれる。

 しかし、ここが最後の場所である老人たちにとり、言い方は悪いがここは独房のようなものだ。もちろん人によりけりで、老人ホームでの生活を楽しんでいる人もいる。でも表面上は楽しく見えるだけで、心の中は寂しい人も多いはずだ。

 先日、老人ホームで働いているという40代の女性に会った。彼女からホームの裏話が聞けると期待していたが、出たセリフは、「老人ホームに入っているお年寄りは幸せですよ」だったのには驚いた。「精神的に疲弊しているお年寄りをたくさん見てきているけど」とわたしが言うと、「そんなことないですよ。みなさん感謝してくれているし、楽しく過ごしてますよ」と彼女は答えた。