お年寄りは、ここで嫌われたら逃げ場がない
わたしの見方は偏見だったのか。しかし後日、親を預けている友人にこの話をすると首を大きく横に振った。
「うちの母は90歳からお世話になってますが、スタッフには気を遣っていますよ。利用者のお年寄りはここで嫌われたら逃げ場がないので、ニコニコと文句も言わず“ありがとう”と言うのよ。そのスタッフさんは鈍感ね。若いから、老人の気持ちがわからないのね」。
そして彼女は言った。「スタッフのあなたはいい。仕事を終えて帰宅すれば、自分の自由の時間なのだから。でも、入所者はここが暮らしの場なのよ。彼女たちには帰るところはないんだから」。
スタッフにそこまで考えてほしいと言う気はないが、他人の世話になって暮らすというのは、家族が想像する以上に寂しいことだと彼女はつけ加えた。親をホームに入れるときは、親も娘も泣きながら決断するのだ。
以前訪ねた高級有料老人ホームで見た男性の姿を、わたしは忘れることができない。みんなから離れた席でひとりの食事が終わると、窓辺に静かに車いすで移動し、ただ外を見ていたあの姿を。
おそらく現役のときは、それなりの役職に就いていた方に違いない。きちんとした身なりと凛(りん)とした後ろ姿でわかる。でもここでは、若いスタッフと共通の話題もなく、会話を楽しめる入居者もいないのだろう。
ホームの存在は助かるが、安心して最後まで暮らせる場所に入れただけでは、人は幸せにはなれないと、つくづく考えさせられる光景だった。
<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『老後ひとりぼっち』、『長生き地獄』(以上、SBクリエイティブ)、『母の老い方観察記録』(海竜社)など。最新刊は『孤独こそ最高の老後』(SBクリエイティブ)。