明知光秀・妻の夫婦の絆食

 日本人のソウルフードのひとつである味噌汁。すでにそのルーツは卑弥呼の時代の野菜スープの「菜茹」平安時代になると「味噌」という文字が使われている。そして戦国時代には、多くの武将が味噌を積極的に食している。

 そんな時代のある賢女の物語をしよう。その女性の名は、煕子(てるこ)明智光秀の妻で賢女の誉れが高い

 光秀がまだどこにも仕官していない貧しい時代のこと。光秀と友人たちは順々にもてなし役を交代しながら汁講を行っていた。汁講とは、もてなす側はただ味噌汁のみをこしらえ、客は弁当箱にご飯を入れて、みんなで寄り合って汁を賞味し、話も盛り上がるという会

 あるとき、光秀にこの主人役が回ってきたが、お金がない。そこで妻に「もてなしなどできないので断ろうと思う」と伝えた。すると妻は「あなたの顔が立つように私が何とかします」といい、やがて友人たちが集まると、これまでのどの宴会よりも豪華な汁が用意されていた

 友人たちが帰った後で、どうやって金を調達したのかと光秀が尋ねると「髪を売りましたと妻光秀は大いに感謝していつか身を立ててお前の恩に報いるぞと決意した。味噌汁はまさに夫婦の絆を強くしたのだ。

「当時の味噌汁の具として定番だったのがサトイモ、ゴボウ、ねぎ、そして豪華にするにはイノシシ肉や鳥肉も加えたと考えられます。もしあなたが、人々の結束を強めたいと考えているなら、汁講を復活させてみてはどうですか」

髪の毛を売って、夫のために豪華な味噌汁を作った煕子 イラスト/上田惣子
髪の毛を売って、夫のために豪華な味噌汁を作った煕子 イラスト/上田惣子
【写真】美貌の衰えを花に喩えた小野小町の和歌のイラスト(作・永山久夫先生)

 同じく戦国武将の前田利家の賢妻・まつも味噌汁作りが得意だった。

 尾張(名古屋)出身の彼らは、「豆味噌文化圏」で育っている。大豆100%の豆味噌は、必須アミノ酸のトリプトファンのほか、頭の回転をよくするレシチン、女性ホルモンに似た作用を持つイソフラボンが含まれる

 まつは12歳で利家に嫁ぎ、11人の子どもをもうけた。子だくさんの戦国時代においても、異例の多さだ。また平均寿命が30代後半の時代に、71歳という長寿を全うしている。「まつの健康、長寿、子だくさんの秘密は豆味噌の味噌汁にあったといってもよいでしょう

 まつの味噌汁は、あつめ汁といって、ダイコン、ゴボウ、サトイモなどの根菜類をふんだんに使っている。