東洋人初、全米ツアーを成功
ブルースの本場で東洋人が認められるなんてことはまず不可能な時代。さんざん差別に遭い、それでも演奏が終わって床に放り投げられた5ドル札を握りしめ歯を食いしばって歌い続けたのだが……。
アメリカに来てわずか半年後だった。
「諦めて日本に帰りたい─」
住み込んでいたファミリーのビッグママにそう打ち明けると、彼女にこう言われた。
「トオル、あなたは白人でも黒人でもないイエローなんだ。この国で生きるということは、痛い目に遭うということ。それを歌に託せ。それがソウルだ。その悔しさやいろんなことを込めれば、お前の気持ちのこもった歌に耳を傾ける人たちがきっと出てくる。そうやって人の魂に届けられた歌がブルースなんだよ」
その後、大木さんはニューヨークに拠点を移し、過酷な日々を送る中、次第にその歌声が人々から支持を受けるようになる。
そして東洋人として初めて全米ツアーを成功させたブルースシンガーに上り詰めた。
「ミスター・イエローブルース」と呼ばれ、日本公演もたびたび行い、アルバート・キング、ベン・E・キングなど多くのレジェンドと呼ばれるブルース・ミュージシャンとの共演でも話題になった。
大木さんと動物愛護を通して交流のある、音楽評論家の湯川れい子さんが語る。
「大木さんは、不可能を可能にした人です。ブルースというアメリカが生んだ芸術に黄色い人が入っていくのは本当に大変だったと思う。それがあそこまで成功を収めたおかげで、向こうのミュージシャンも日本に注目したんですよ」
アメリカでは、誰もが本業とは別に「ライフワークを持つ」ということが重要視される。大木さんは、ひょんなことからその「ライフワーク」を見つけることになる。
1980年の夏のある日、ニューヨークの高齢者施設で、赤十字のベストを着て活動する犬たちを目にしたのだ。
施設には、認知症の患者もいれば、脳梗塞などで手足が動かなくなった障がい者もいた。
ホールに入った犬たちはいきいきと活動を始めた。
松葉杖をついた老人が歩きだすと、1頭の犬がつき、ゆっくりとした老人の足取りに合わせて歩く。車椅子の老人に犬のリーシ(リード)をわたすと犬は車椅子にぴったりと寄り添い、お年寄りの様子をうかがいながら歩いていた。
また、こんな光景も見た。
後遺症で手が動かなくなっていた老人に1頭の犬が近づき、目と目を見合わせ、ペロペロとその手をなめはじめたのだ。すると間もなく、強張っていた老人の顔に笑みが浮かび、固く握ったままだった手をゆっくりと動かし、その犬の顔を撫でたのだった。
「犬には人の病を治す力がある、と思いましたね。その光景を目の当たりにして、私の胸は熱くなりました。幼少時代に僕を励ましてくれた愛犬メリーを思い出したんですよ」