反論する職人を次々と……

 こうした中、違和感を覚える点がいくつもあった。最たるものが職人たちの姿だ。

 茶髪のみならず、パンチパーマやアイパーという清潔感のない髪型や服装をしている者が多く、地元では、ヤンキー風の人間が歩いていると「あれは船橋屋の人間だ」と言われるほど。どんなときもスーツでパリッと決めてきた元銀行員にはとうてい受け入れられなかった。

 当時、工場で働いていた現仕入受注管理部部長・小野寺隆侍さん(50)は当時の実情を語る。

「現社長が来られたころの船橋屋は工場で10数人が働く程度の小規模の会社でした。職人たちには『いいものを作るんだ』『俺たちが会社を支えてる』という気概はありましたが、昼休みになれば麻雀大会は当たり前。午後も仕事が早く終われば日の高いうちから飲みに行くのが普通で、20代だった自分も『こんなのでいいのかな』と感じることがありました。現社長は年齢の近い私に『職人さんは何を考えてるのかな』『雰囲気はどう』と聞いてくることもありましたけど、最初はじっと黙って様子を見ている感じでした」

6代目の達三さんと妻の菊子さんを中心に従業員が集まる。船橋屋には、「血よりのれんは重い」という言葉があり、直系であっても継がせることができないと判断した場合は、養子を迎えてのれんを継いできた
6代目の達三さんと妻の菊子さんを中心に従業員が集まる。船橋屋には、「血よりのれんは重い」という言葉があり、直系であっても継がせることができないと判断した場合は、養子を迎えてのれんを継いできた
【写真】450日熟成させたものなのに消費期限はわずか2日、船橋屋のくず餅

 自分なりに会社の現状を把握した渡辺は2年目から改革に着手する。長年の付き合いのある銀行との取引を見直し、言い値で材料を買っていた仕入れ先にも値下げ交渉を申し入れた。相手が納得しなければ容赦なく切り捨てる。その冷徹さは数字至上主義の銀行マンらしい考え方だが、高度経済成長期の「いいものを作れば黙っていても売れる」「コストダウンなんか必要ない」という時代の空気が染みついている社員や職人たちは納得しない。ぶつかり合うこともしばしばだった。

 前出の小野寺さんが話を続ける。

「材料の価格が多少高くても『売れているんだからそれでいい』という感覚を持っていた人が多かったんでしょう。でも経営の本質を知る現社長は納得できなかった。反論してくる職人を次々と切り始めて、徐々に殺伐とした雰囲気になっていきました。先輩職人が怒って辞めていく姿を見て、『ここまでやるのか』と感じたこともありましたね

 壁にぶつかる渡辺を支えていたのが、家族の存在だ。三和銀行時代の同僚だった妻・麻里さんは船橋屋に入る直前の'93年6月に結婚し、夫の浮き沈みを近くで見続けてきた。長男・大起さん(21)から見ても「母は細かいことに気を配れる思いやりあふれる人柄。父や僕ら子どもたちを力強くサポートしてくれる」と語るほど重要な役割を担ってきた。

 その妻が、このころ最寄り駅まで夫を送る車中でふと、「このままじゃ、死ぬな」と感じたという。

 渡辺は、後に妻にそう思っていたと言われて絶句したと話す。

「自分の強引なやり方で、気づいてみたら8割の人間が辞めてました。『俺って人望ないな』という自分への失望感が強くて、妻にしてみれば僕が毎日すごい顔をしているように見えたんでしょう。当時の自分は確かに『暴君』だった。『クズ』『だから、お前らはダメなんだ』と社員を罵倒することもしょっちゅうで、今、考えると自分自身が病んでいたんですよね」

 他者も自らも傷つけて自分流を推し進める息子を、「後継者に据える」と覚悟を決めた父・孝至さんは黙って見守っていた。だが、2000年を過ぎたころ、「ISO9001(品質マネジメントシステムの国際規格)を取得する」と言い出した際は、さすがに大反対した。

 そもそもISO9001というのは、信用力の高い第三者機関から受ける「この会社は恒常的に高い品質の商品を提供するシステムが構築できている」という事実認定だ。品質管理が可視化され、イメージアップにもつながる。ただし、取得へのハードルは非常に高い。くず餅の製造過程を例に取ると、小麦粉の練り方、水洗いの仕方、檜の貯蔵庫で450日熟成させるのに最適な温度、蒸し上げる時間、温度、切り方などさまざまな工程がある。