オペも術後の治療も順調だった。放射線5週間。注射のホルモン療法2年間。
手術から2年たった2005年10月、「これからは飲み薬だけになったよ」とケーキを買って夫と2人でお祝いをした。ホットフラッシュももう終わりだと思うと、気分も軽かった。これからまた、身体が楽になっていくだろう。
夫との生活もこれからよくなっていくような気がしていた─。
突然、自殺した夫
数日後、仕事中に夫の仁幸さんからメールが届いた。
「落ちちゃった」
2つの会社の面接を受けた結果の報告だった。
「今日、ジムに行く予定だったけど行かずに帰ろうか?」
「大丈夫だからジム行ってきなよ」
仕事中も仁幸さんのことが気になり、帰り支度をしてもう1度、電話をかけた。答えは同じだった。
「大丈夫だから、ジムに行っておいで」
ジムで汗を流し、家に帰ってドアを開けると、家の中は真っ暗だった。嫌な気持ちになった。「もしかして」と思った。
仁幸さんの部屋を開けると、そこも真っ暗。目を凝らすと、本棚にベルトをかけて首を吊っていた。
どうしていいかわからず、思わず仁幸さんの身体に触れた。驚くほど冷たく硬い。頭の中にいろんな思いが浮かんでくる。
「私が電話切った後、すぐにやっちゃったのかな。生きられるかな。この冷たさだと生きられないかな。脳死の状態で生きることは彼にとって悪いことなのかな……」
鼓動が早くなり息苦しい。何がなんだかわからない。とにかく救急車を呼んだ。電話口の人に、「心臓マッサージできますか」と尋ねられた。やり方を教えてくれ、電話を保留にしたまま何度も心臓マッサージをした。
そのあたりから記憶は曖昧になっている。
救急隊員が来て、家の近くの病院に搬送された。警察の人に話を聞かれた。何を聞かれたか覚えていない。
大沢さんの記憶には、「私がもっと早く帰ってくれば死ななかった。死ななかった。私が寄り道しなきゃよかったんだ」と繰り返しぶつぶつとつぶやく自分の姿があった。
警察の人がそれに応えるようにかけてくれた言葉はよく覚えている。
「奥さん、今回、間に合ったとしても、こういう人はまたやるんですよ。だからしかたがなかったんです」
最後に顔を確認するかと尋ねられ、少し遠くから顔を見た。さっきまで肌色だった顔が真紫になっていた。その顔を記憶に残したくなくて、「見ません」と答えた。