看護師に付き添われ、霊安室についたとき、大沢さんのお姉さんが病院にタクシーで駆けつけた。
「電話で、すぐに病院に来てって呼ばれて、慌てて向かいました。雨の日でした。電車もなくなりそうな時間で、タクシーで病院へ向かったのを覚えています。私を見ると妹は泣き崩れるかもしれないと思ったけれど、妹は泣くこともできないくらい緊張していました」
由佳理さんは大沢さんが仁幸さんと結婚してから家が近くなり、行き来も増えていた。姉妹でもよく話すようになっていたという。
「2人とたまに外食したりしていたんです。渋谷くんも結婚当初は元気でしたし、行き来が増えました。渋谷くんがうつになってからは、電車に一緒に乗っていて人身事故のアナウンスを聞くと、妹がとても緊張している様子だったのを覚えています」
大沢さんは、駆けつけた由佳理さんに会ってしばらくするとガタガタと震えだした。自分でも驚くほどに身体が勝手に震えた。寒さではなく、ショックからくる震えだったが、看護師がブランケットを持ってきてそっとかけてくれたのを覚えている。
涙が止まらない日々
仁幸さんの死亡届を役所に提出したときだった。
「これはこちらで破棄していいですか」と確認された。
オレンジ色の年金手帳には、10以上の会社を転職した仁幸さんの記録が残されていた。大沢さんはとっさに、願いのようにこう言った。
「うつなのに、頑張っていくつもの会社に勤めては辞めた彼の記録だから捨てないでほしい」
「そうですね。これは、ご主人が頑張った記録ですものね」
大沢さんはそのとき、市役所の窓口で、初めて涙を流して号泣した。
夫を自殺で亡くした後も仕事を続けた。誰かのために働くことが大沢さんをなんとか支えていた。
「仕事はしていましたが、2年ぐらいの間は、ふとしたときに涙が出てきて止まらなくなったり、不意に死にたくなったりしていました。自死遺族の会をネットで探し、夫を亡くした人で話せる人が見つかって時折、電話でやりとりをするようになりました。でも誰もいない家はあまりにも静かで寂しかった」
そんなとき、遺族会で知り合った仲間がすすめてくれたのがフェレットだった。
「フェレットを飼い、チロと名づけました。手のひらに乗る赤ちゃんから育てました。小さな命の気配がすぐそばでスースーと寝息を立ててくれる。5年で亡くなってしまったけれど、最期を看取る経験をさせてくれた。チロちゃんにはとても感謝しています」
そのころ、追い討ちをかけるように職場で1人の女性からのハラスメントが始まった。
「ご主人が自殺したことみんな知らないと思っているでしょうけど知ってますからね」「大沢さんに気を遣って、めんどくさい仕事が全部、私に回ってくるんです」
夫を亡くしたPTSDに加え、やりがいを得ていたはずの職場でのハラスメント。半年ほどたつとソファからも起き上がれなくなり、1か月だけ休職することにした。
「1人でいると何も食べる気にならない。そんなとき、姉が毎週のように食事に誘ってくれた。姉妹だから気を遣う必要もないし、そのことでずいぶん助けられました。それに、死にたくなったとき、私が死んだらチロちゃんの世話をする人がいなくなってしまうという思いが何度も思いとどまらせてくれました」