ダイバーシティが謳われるようになり、SNSの発達とともにこれまで知られていなかった社会的マイノリティの人たちの存在が可視化されるようになりつつある。そのなかのひとつに「コーダ(CODA)」と呼ばれる人たちがいる。
コーダとはChildren of Deaf Adultsの頭文字を取った言葉(CODA)であり、「聴こえない親の元で育った、聴こえる子どもたち」を意味する。この言葉が生まれたのは、1983年のアメリカでのこと。しかし、いまの日本で、この言葉を知っている人はどれだけいるだろうか。それくらい知られていない存在だ。
本稿はそんな「コーダ(CODA)」の筆者が綴る、母との記憶。
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ぼくの「ふつう」と世間の差
ぼくの両親は耳が聴こえない、いわゆる「ろう者」である。父は幼少期の病気が原因で聴こえなくなり、母は生まれつき、先天性のろう者だった。両親は耳が聴こえない、対して息子であるぼくは聴こえる。幼いころはそれが「ふつう」のことであり、聴こえる・聴こえないの違いはありつつも、手話で会話することができるぼくにとって、そんなことは別に大した問題ではないと思っていた。しかし、物心つくのと同じころ、それが「ふつう」ではないことを知る。
両親、特に先天性の聴覚障害者である母は、なにかを言おうとしても、その発話がくぐもって響く。「こんにちは」は「おんいいわ」というように。それを初めて耳にした人は、なにを言わんとしているのか正確には理解できないだろう。
あるとき、家に遊びに来たクラスメイトがこう言った。
「大ちゃんのお母さんって、喋り方おかしいね」
ぼくの母の喋り方は「ふつう」ではないんだ。ぼくはクラスメイトを責めることができず、悪いのは、ちゃんと喋れない母なのだと思うようになっていった。彼女のせいで、こんなにも恥ずかしい目に遭う。残酷にも、そう思ってしまったのだ。
そうして年を重ねるごとに、そのとき感じた恥ずかしさは、少しずつ母に対する怒りへと変容していった。
「どうしてちゃんと喋れないんだよ」
「どうして耳が聴こえないんだよ」
「どうしてぼくは、障害者の親を持たなきゃいけなかったんだよ」
「そんな親なんて、欲しくなかったよ」
幼さもあって、怒りのまま、母にひどい言葉をぶつけたこともあった。でも、その言葉の一つひとつを母は受け止め、いつもこう言うのだ。
――お母さんの耳が聴こえなくて、ごめんね。
眉尻を下げ、哀しみをたたえた笑顔を浮かべる母の表情を見るたび、ぼくは胸が締め付けられるような気持ちになった。……それでも、悪いのは母なんだ。そう思い込むことで、どうにもならない現実を呑み込もうとしていたのかもしれない。そのときは、想像以上に母を傷つけているだなんて、まったく気がついていなかった。
加えて、近所にはあからさまに差別をしてくる人もいた。
「障害者の親に育てられている子どもなんて、ろくな大人にならないでしょうね」
ぼくは障害者の子どもなんだから、差別され、迫害され、偏見をぶつけられる。障害者の子どもとして生まれた以上、それはしょうがないことなのだと心に蓋をするように幼少期を過ごしていった。
次第に、母との間には距離が生まれた。「もしも母の耳が聴こえていれば、こんなに苦しむこともなかったのに」「母の耳が聴こえないから、人一倍苦しまなければいけないんだ」胸中にはいつも、そんな鬱屈した想いが渦巻いていた。
だからだろう、中学生のころになると手話を使うこともやめ、母とのコミュニケーションに使うのは、もっぱら口話(口の動きを読み取り会話する読唇術の一種)になっていた。その上、理解してもらえるように、ゆっくり・はっきりと話す努力もしない。ぼくが言わんとしていることを理解できない母を見るたび、言いしれない苛立ちを募らせながら。
「なんで理解できないんだよ」「もっと努力して、ぼくが言いたいことを理解しろよ」あまりにも乱暴で、そんなぼくに、
――ごめんね。もう少しだけ、ゆっくり話してもらえる?
そういって母は怒りをぶつけることはせず、ただひたすら申し訳なさそうにお願いするのだ。