認知症の症状が改善されたり、難病と闘う力を与えてもらったり。「看取り犬」に寄り添われ、おだやかに旅立つ人もいる。日本初の「ペットと一緒に入れる老人ホーム」の毎日は、動物たちとの温かな触れ合いが引き起こす、やさしい“奇跡”であふれている。施設長の若山さんが目指すのは、わが家のような居場所。愛犬や愛猫たちとの暮らしも、腕によりをかけた食事も、小旅行も、すべては高齢者の夢を叶えるために──。

 

 癒しや温もりを与えてくれる大切な愛犬や愛猫は、飼い主にとっては家族同然の存在。しかし、ペットの寿命が延び、飼い主も高齢化するなかで「自分にもしものことがあったとき、この子はどうなるのだろう」と、不安に思う人は少なくない。

人間が不可能なことを動物が可能にする

 そんな高齢者の心配に応える老人ホームが神奈川県横須賀市にある。特別養護老人ホーム『さくらの里 山科』は飼い主とペットが一緒に入居でき、ともにのびのびと暮らしている、稀有で温かい施設だ。動物たちとの触れ合いを通して、難病と闘う力をもらった高齢者がいる。息子の名前さえ忘れていた認知症の女性が記憶を取り戻したこともある。人間が不可能なことを動物が可能にする、そんな小さな奇跡が、ここではたくさん起きている。

 施設長の若山三千彦さんは言う。

ペットと暮らす生活をあきらめて、生きる気力を失う高齢者がこれ以上出ないためにも、うちの施設のような老人ホームが全国に広がってほしいです」

「あきらめない福祉」を掲げる若山さん。その熱意はどこからきて、どのように形にされていったのだろうか。

 昭和40年、若山三千彦さんはサラリーマンの父と専業主婦の母との間に生まれた。2つ下の弟と、6つ下の妹、そして近所の子どもたちと一緒に山で遊ぶ、ごく普通の子どもだった。

 両親は動物が大好きで、若山さんが小学生のころからうさぎを飼っていた。中学生になると犬も飼い、動物がいることが当たり前の暮らし。また両親はボランティア活動にも熱心で、若山さんは小学生のころ、母親に連れられて老人ホームや障害者施設に通うこともあったという。

 幼い若山さんは、比較的おとなしく、SFが大好きで、黙々と本を読む子どもだった。SF好きは、のちの進路にも影響することになる。若山さんは宇宙について学びたいと考え物理系の大学へ進学。物理を学んだ若山さんは、違う学問にも関心を広げ大学院の環境科学系へと進み、都市計画を専攻した。

 その後、大学院を卒業し、今度はアイルランドにある日本人高等学校の教師となる。

「めずらしい国での教師の仕事は、おもしろそうだな、という感じで行ったんです」

 周囲の友人たちは、好奇心のままに行動する若山さんを見て、あきれていたと笑って話す。

「やりたいことがあったら自然に動いてしまうんです」

 アイルランドの教師生活では、高校生に物理と化学を教えていた。当時のアイルランドには日本人はほとんどいなかった。小さな学校で1学年に1クラスしかなく、20人くらいの生徒たちと、校内の寮でのんびり暮らしていた。

思えば、私自身の“職業人スピリット”のようなものは、ここで培ったのだと思います。最初に“教師とは、生徒の夢を叶える仕事だ”と教えられ、ずっとそれを目指していましたから

 この「誰かの夢を叶える仕事」という思いが、高齢者の夢を叶える現在につながっている。