上皇さまが大きな手術を経験されたことで、美智子さまは“やがて来るお代替わりについて相談しなければならない”とお考えになった。
「上皇さまが退院されて間もなく、天皇陛下と秋篠宮さまを御所にお招きして月1回の“懇談”を行うように。この話し合いをすすめたのは美智子さまといわれており、上皇ご夫妻のみでなく、ご家族や宮内庁関係者も忌憚なく意見を出し合う場でした」
国民に寄り添い続けてきた美智子さまの“終活”からは国民への配慮が感じられる。
「昭和天皇崩御の際、儀式や陵を造営する費用として投じられた国民の税金は、約100億円にも及びました。経済活動の停滞ぶりを目の当たりにした上皇ご夫妻は“国民生活への影響が少ないのが望ましい”と考えられるように。ご自身については“国民のためになるべく簡素にしたい”と、早いうちから準備を進めることになったのです」
'13年11月、宮内庁は“今後の御陵及び御喪儀のあり方についての天皇皇后両陛下のお気持ち”と題し、葬儀と陵の見直しを発表した。
「経済的な負担を含めた国民生活への配慮と“時代に沿った葬送をしたい”という上皇ご夫妻の意向を受け、約400年ぶりに土葬から火葬へ変更されました。一般社会では火葬が通例であり、上皇ご夫妻が“国民とともに歩みたい”とお考えになっていることも変更の理由でした」
陵については、おふたりが抱かれるお互いへの深い愛情が反映されているという。
「合葬を提案された上皇さまに対し、美智子さまは“畏れ多い”とお返事されました。そして、“皇后陵をそれまでのように大きくしないで、天皇陵のそばに置くことは許されることでしょうか”と相談されたのです。その結果、おふたりの陵は同じ敷地内に寄り添うように並ぶ“不離一体”の形となり、敷地面積は、昭和天皇と香淳皇后の陵の8割程度となります」