「さだ兄、助けて!」
小林にとって人生最大のピンチとなった騒動。その発端は、長年のビジネスパートナーが退社したことだった。この退社にさまざまな尾ひれはひれがつき、騒動は泥沼化。
小林に対するバッシングが連日のように報じられたが、彼女は一切反論しなかった。
「ありもしない話がひとり歩きしてどんどん流れて、悔しい思いもありました。でも、反論してもおもしろおかしく書かれてしまうだけ。だったら、何も言わないでおこうって……。きっと、時間がたてばわかってもらえると思ったんです」
しかし、騒動の余波を受けて新曲のリリースが無期限延期になり、レコード会社は契約解除に。33年続いていた紅白歌合戦の出場記録も途絶えた。自分でレーベルを立ち上げ、新曲を出そうとしても、作詞や作曲を引き受けてくれる人すら見つからなかった。
「これまで周囲にいた人が、潮が引くように去っていった。新曲が出せないというのは、歌手にとって死亡宣告を受けたようなもの。このときは、さすがに精神的につらかったです」
窮地に追い込まれた小林が頼ったのは、若いころからの付き合いで“さだ兄”と慕うさだまさし(69)だった。さだに電話した小林は「さだ兄、助けて!」と留守電に吹き込んだという。さだが振り返る。
「メッセージを聞いて、本当に精神的に追い込まれているんだなあ、と胸が痛くなりました。すぐに電話をして『お金ならないぞ』と言いましたが、『お金のことなら、さだ兄に頼まない』と言われて(笑)。まあ、状況は理解していましたから、すぐに事情はのみ込みました」
小林は、さだに現状を伝え、曲を作ってもらえないかと依頼。さだは、その日のうちに曲を仕上げた。それが『茨の木』だ。
「こういうときはできるだけ早いほうが安心するだろうなと思って“エール”を送るつもりで、当日仕上げてデモ・テープを彼女に届けたんです」
さだが贈ったのは歌だけではなかったと小林は言う。
「さだ兄は、“真実はひとつしかないんだよ。何も言わなくていい。歌い手はいい歌をきちんと歌っていれば、それでいいんだ”と、励ましてくれた。この言葉に奮い立たされ、歌うことに集中しようと思えたんです」
懸命にもがく小林を歌の神様は見放さなかった。やがて、彼女の飛躍につながるひとつのめぐりあいが訪れる。