他科と変わらない入院生活

 個室の閉鎖的な空間はつらかったものの、意外にも錦山さんにとって精神科病棟は「普通の場所」だった。

「たしかに、個室から出て病棟内を歩き回れるようになってからは叫び声を上げる人や机を蹴る人なども目にしましたが、そんなことばかりではありません。物にあたったり、ほかの患者さんに迷惑をかける人がいたらすぐに看護師さんが駆けつけ、落ち着くまで個室に入れたり、入院患者の安全を守っていました」

 第一印象は、病院がきれいだということ。窓に鉄格子などもなかった。

許可が出れば、院内を動き回ることもできました。売店に行ったり、外部へ電話したり、ロビーにあるテレビで番組を見たり、自販機で飲み物を買ったり。食堂には給湯器もあるので自由にお茶などを飲むこともできたんです」

 錦山さんの病院にはロビーと食堂にテレビがあった。漫画や雑誌、新聞、トランプやオセロなどもあり、個室に持ち込まなければ自由に利用できた。ただし、すべてが一気に許可されるわけではなく、それぞれ段階を踏んでの許可となるのは患者の状態に応じて安全のレベルが異なるから。だから、事前申請で許可が出れば外出も可能だ。

回復すれば、充実した生活も

 お風呂は予約制だったそうだが「ロビーなどまで出られるほど回復すれば、患者さん同士の交流もあったし、シェアハウス感覚でした」と話す。

 1日1回、ヨガや楽器演奏、習字など何かしらのレクリエーションがあり、行動制限がかかっていなければ自由に参加できた。食事の時間や消灯時間は決まっているものの、通常の入院生活と変わりがない。むしろレクリエーションが毎日行われているぶん、充実しているかもしれない。

「強制参加ではないので、気が向いたときに参加してひとりで楽しんだり、ほかの患者さんと一緒に遊ぶことができます。私はこのレクリエーションのヨガが特に楽しみで、開催されない祝日は本当に退屈でした」

 閉鎖病棟は世間のイメージとは違い、患者が元気になるためにたくさんの工夫がされていたと話す。

 患者の症状に応じて病室は個室ではなく共同部屋に入ったり、ナースステーション内にある特別な個室に入ったりとさまざまだ。

 また、入院当初の「魔の4日間」にも大きな救いがあった。日に数回、部屋に顔を出してくれる看護師が、必ず時間を見つけては声をかけてくれたのだ。そのときほど人の温かみを感じたことはなかった。看護師との会話が錦山さんにとって大きな励みになった。

私は『どうせまた同じことを繰り返す』と訴えたら『ずっと繰り返しじゃない、いつかそうじゃなくなる日が必ずきます』と言われて。絶望感や屈辱感でいっぱいだった私が、このとき初めて元気になれると希望を持てたんです

 それまでの多忙だった生活リズムが入院で落ち着いたこともあり、症状は劇的に回復した。もともと、3か月程度の入院が想定されていたが、長ければ半年くらいかかると思われていたところを、2か月弱で退院となったのだ。

 ほかにも社会復帰の練習のために、週に何回か、別の階や棟に移動して普段会わない患者と、1つのテーマについて話し合ったり、薬や病気についての勉強会をすることもあった。

「私にとって、こうしたプログラムは病気を治すのに絶対必要な過程だったと考えています。閉鎖病棟は安全に過ごせ、少しでも早く元気になれるようにたくさんの工夫や配慮がされた“患者が元気になるための場所”です。振り返ってみると、トータルではとても過ごしやすい環境でした