トップモデルとして活躍、そして2度の結婚
昭和24年、日本人の母とアメリカ人の父との間に横浜で生まれた小百合さんは、高校を卒業するとモデルの道に進んだ。高度経済成長期で欧米化が進む当時の日本では、スラリと伸びた長い脚とエキゾチックな顔のハーフモデルがもてはやされ、小百合さんはまたたく間にトップモデルとなる。やがて、モデル仲間の男性と恋に落ち、20歳で結婚。翌年に長女、翌々年に長男を出産した。
「産休?そんなのない(笑)。長女出産後の10日後にはポスター撮影がありましたから。あのころはニューファミリーという言葉が登場し、親と同居しない核家族、子どもを産んでも働く、といった新しいライフスタイルが生まれた時代。
若くしてママになった私は、ニューファミリーエイジと呼ばれ、夫と共に雑誌に登場したり、仕事は順調でしたね」
一方で、結婚生活はうまくいかなくなり、4年でピリオドを打つ。子どもの育児は同居の母に任せ、一家の稼ぎ手として仕事に邁進した。
「20代後半は、奥さま雑誌のモデルとしての需要が増えました。一度、少し太ってしまい、仕事が減った時期があったんです。モデルという仕事はいつまでできるかわからない。その不安もあって副業も。手芸店、美容院、焼き鳥屋を開き、経営していました」
大卒の初任給が5万円ほどの時代に、モデル業で年収700万円を稼ぎ、それを資金に商売に着手。実業家としての手腕は、このころから育まれたのだろう。そして29歳のとき大きな転機が訪れる。
「モデルの仕事の撮影現場で、動物プロダクションを経営する坂本と出会って、再婚したのです。動物プロダクションは、テレビや映画などに出演する動物を用意する会社です。私は子どものころから猫を飼っていましたし、動物が大好き。坂本の動物プロダクションを手伝うことになりました」
モデル業からの転身だ。
「ただ……外では立派に見えた坂本ですが、内実はお金にだらしなく、経営は火の車。お金には大変苦労しました」
とはいえ、小百合さんは、モデル時代の人脈を生かし、持ち前の経営手腕を発揮。業界シェアナンバーワンの動物プロダクションへと押し上げる。
「ゾウを飼うきっかけになったのは、バラエティー番組でゾウをレギュラー出演させる依頼があったから。毎週サーカスなどからゾウを借りてくるのは大変なので、購入して、うちで飼うことにしたのです」
と、さらりと語るが、相手は巨大な生き物。犬や猫の飼育とは次元が違う。
「家から10メートルほど離れたところにゾウ舎をつくったのですが、ゾウが来た翌朝、バォーンと怪物のような鳴き声が響いて、飛び起きましたね。最初は手探りでした」
こうした環境で育った子どもは、ごく自然に動物とふれあい、心を通わせる。やがて長男の哲夢さんが、「ゾウ使いになりたい」という夢を抱く。