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《このところ〈終活〉という言葉が流行りだけど、僕は意味がないと思っています》
きっぱりとそう言い切るのは、解剖学者の養老孟司さん。
《生まれたときだって、気がついたら生まれていた。死だってそう。自分ではどうしようもないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健全》
《いろいろなものを貯め込んで死ぬのは家族に迷惑をかけると言われるけど、これまでも順送りに繰り返されてきたこと》
養老さんはさまざまなメディアで、このように主張する。
終活は心身をむしばむ諸刃の剣
自らの死に備えて準備をする〈終活〉は、15年ほど前にメディアの造語として登場。またたく間に世の中に浸透した。
「少子化や離婚率上昇により、介護や死後の手続きを任せられる人がいない〈おひとりさま〉も増加。
東日本大震災等の大きな自然災害も起きて、いつなんどき死ぬかもしれないという〈自らの最期に備えておかないと不安〉という風潮の高まりに、終活という言葉はうまくマッチしたのでしょう」
と話すのは、長年にわたり、信託銀行で遺言整理などの業務に携わってきた、遺贈寄附推進機構代表取締役の齋藤弘道さん。
しかし、老年医学の専門家で精神科医の和田秀樹先生は、この風潮に心身をむしばむ諸刃の剣だと警鐘を鳴らす。
「終活とはすなわち、自らの死を意識すること。しかもほとんどの人は、〈周りに迷惑をかけたくない〉という動機で終活を始めます。例えば余命半年と宣告された人がいたとしましょう。
迫りくる死に焦りながら、家族に迷惑をかけないようにと、片づけや財産整理にその限られた半年間を費やすのは、はたして幸せといえるでしょうか?それなら、今このときを楽しんだほうが、ずっと幸せな最期を迎えられると思いませんか?」