退院後の松永さんの大きな変化は、リハビリを兼ねて、それまでできなかった料理を始めたことだ。
「料理には苦手意識があり、結婚していたときは夫に任せ、私は一度もやらなかったんです。でも始めてみたら、できなかった料理が少しずつできるようになるのが楽しくて、苦になりませんでした。ただ、左手に感覚麻痺が残っているので、握っていた包丁を足の上に落とすなど、しょっちゅうケガはしましたが(苦笑)」
現在の松永さんは、運動麻痺に関してはほぼ回復している。
「私の歩く姿を見て、4年半前に脳出血で重度の麻痺が起きていたなんて、誰も信じないと思います」
ただし左の手足については、右側のように自由に動かすことはできない。そのため疲れているときには左の手足に意識が回らず、特に左足は感覚がほとんどなくなってしまうことがあり、階段の下りは手すりを持っていないと危険だという。
「他の麻痺患者さんの希望になるために」
退院直後からダンスのための身体づくりも再開し、これもいいリハビリになったという松永さんはその1年半後、復活のステージに立った。
「必ずもう一度ステージに立つんだという思いでリハビリを続けてきましたから、周囲の人の応援でそれが実現できたのは、本当にうれしかったです。もちろん以前と同じようには踊れませんが、ダンスは技術がすべてじゃなく、その人の生きざまが表れます。私が生きて病気を乗り越えてきたことで生まれる表現を見てもらいたい、という気持ちで踊りました」
医師から、もう一度ダンスを踊るのは難しいと言われながらも、奇跡的な復活をとげた松永さんは「そこまで回復した人がいないんだったら、私がその一人になって奇跡を起こしたい。他の麻痺患者さんの希望になるためにも、必ず結果を出すんだ」という強い気持ちを持ち続けてきた。
「脳卒中は誰にでも起こり得る病気で、症状もさまざまなので一概には言えませんが、リハビリをすれば少しずつでも必ず成果が表れることを私は実証しました。今、身体麻痺に苦しんでいる人にもそのご家族にも、回復を信じて希望を持ち続けてほしいと伝えたいですね」

松永知子さん 1977年生まれ。福岡県在住。30歳でダンスを始め、会社員として働きながらステージ活動を続ける。現在は、日本脳卒中協会の「脳卒中スピーカーズバンクメンバー」として、自身の闘病体験を語る活動も始めている。
取材・文/伊藤淳子