闘病のため、ひとり暮らしをやめて実家に戻り、パーソナルカラー講師の仕事をしながら、色彩療法と免疫力を上げる食事などを2年間継続。すると、腫瘍が1.5cmから6.5mmに縮小した。

このタイミングでの外科手術も考えたのですが、『このまま消えるかも』と期待し、その後も色彩療法と食事療法を3年ほど続けました

「花咲き乳がん」と呼ばれる状態に

 一見、順調に見えたが30歳前後から腫瘍が大きくなり、ついには皮膚から飛び出す。

「2018年には少しの刺激で腫瘍から大出血するようになっていたのですが、仲のいい友人以外には乳がんであることを伝えていませんでした。カフェで働いていたころは激痛が走って出血しても痛みに耐え、トイレでこっそりガーゼで止血して我慢。薬に対してもナーバスになっており、当時は痛み止めも飲んでいなかったんです」

 がん細胞が露出した「花咲き乳がん(花が咲くような見た目からつけられた通称で、局所進行乳がんのひとつ)」と呼ばれる状態だった。進行すると滲出液が分泌されたり、出血や痛み、

 悪臭が生じるという。最初に告知を受けた病院で診てもらうと、手術ができるかできないかの瀬戸際と告げられる。

大学病院も受診しました。腕を伸ばすと腫瘍の近くの血管から出血することを伝えていたのですが、検査のために腕を上げるように言われて、その場で大出血。このとき、医療機関への不信感がさらに強まってしまったんです

 だんだん脚にも痛みが出て、身体の自由がきかなくなっていった。出血に伴う貧血もひどかったが、病院に行って標準治療をしない患者に輸血はできないと帰されたこともあり、医療機関から足が遠のいてしまう。

そのころには骨にも転移していたようです。でも“諦めないこと=忍耐”だと勘違いしていた私は『自分でなんとかしなきゃ』という思いが強く、周りに相談できなくなっていました

 さすがに仕事ができる状況ではなくなり、24時間全身が痛くてほぼ寝たきりに。飛び出た腫瘍の厚みは約6cmになっていた。

母が知人に相談し、訪問看護を教えてもらったことが、私の転機になりました。来てくれた看護師さんが私に、『今まで大変だったね。これからは私たちにも何か手伝わせて』と言ってくれたことがうれしかった。その看護師さんが、外科手術や抗がん剤治療をしなかった私を責めたりしない、近所の訪問医を探してくれたのです